Workshop

ワークショップ

2016年9月18日(日)、なら国際映画祭の開催に合わせて奈良市内にてワークショップ「Road to Cannes 〜カンヌへの道〜」を開催しました。
一般公募から選ばれた映像制作者12名が参加。別所哲也、河瀬直美監督に加え、『淵に立つ』でカンヌ国際映画祭「ある視点」部門の審査員賞を受賞した深田晃司監督を迎えディスカッションしました。
日本映画の制作環境をめぐる問題提起や、問題解決のアクションプランについて語る場になりました。

映像作家が世界に出ることを語る場所
別所:
皆さんおはようございます。
「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア」(以下SSFF & ASIA)の代表をしております、別所と申します。よろしくお願いします。ようこそ「なら国際映画祭」へ。
このプロジェクトは河瀨監督と釜山国際映画祭で色々話をしている中で、何かしようということで形になったものです。今回は記念すべき第1回目なんですが、僕も俳優の傍ら東京で短編映画祭を始めて18年になりました。

僕は俳優で映画祭を始めたけれど、河瀨監督もずっと監督として映画を作り続けながらあえて映画祭もしているところに、ある種勝手な共感を持っています。
少し説明すると僕らが東京で開催されている映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア」(SSFF & ASIA)が15周年の時に河瀨監督に賞をさしあげて、そのあと河瀨さんに審査員をしていただきました。そのあと、「じゃあ今度は別所さんが私のショートフィルムに出てよ」と言われまして。今年のSSFF & ASIAにいらっしゃった方の中には、『嘘」というショートフィルムをご覧になった人もいると思うんですけど。その短編映画に出演させていただいて釜山国際映画祭に行ったんです。
そういった経緯で河瀨監督と話す機会を多く得ました。そこで話したのが、日本の映像作家が世界に出ていったり世界で認められたりするとはどういったことなのか語れる場を創りたいですね、ということでした。僕は俳優もやっているので分かるのですが、映画祭のレッドカーペットのような華やかなものってほんの一瞬で、実は僕らのやっていることって非常に泥臭くて人間臭いというか、汗臭くいことをやっていると思うんです。
それがこう、本当はみなさんのような映像作家さんが何を発信するかに俳優は乗っかるんですけど、今日は僕らが何を持ち寄って何を発信したら世界の人達が色々感じてくれるのか、ということをゆっくり話せたらないいと思います。
そういった中で今日いらしている『淵に立つ』の深田晃司監督は、それを一つ具現化して今年カンヌで賞を取って・・・おめでとうございます。
というふりで、監督どうぞ。

深田:
実は何人か知り合いの方もいらっしゃるんですが、カンヌに参加して帰りの空港ですれ違いざまに河瀨さんと初めてご挨拶して、みたいなところから、こうやって声かけていただいたのかなと思います。
自分が、今日のマスターって呼ばれてほんとごめんなさいって感じなんですが、比較的皆さんと近い立場で、ただ色々と運が良くて今こうやってカンヌとか海外映画祭を色々と巡っていく経験とかをシェアしていきながら、もしかしたら何か発見してもらえるところもあるかも、と思っています。
あとは河瀨さんが「なら国際映画祭」をやっていて、別所さんが「SSFF & ASIA」をやっている流れでいうと、自分も映画監督をやりながら東京を中心に「独立映画鍋」というNPOをやっています。そこで映画人の互助会のような緩やかなネットワークを作っています。
昔はまあ撮影場とかって撮影場の中でみんなまとまっている状況があったと思うんですが、今はみんな少なくなってバラバラで、もうみんながフリーっていう状態になっていく中で、やはり日本映画界としてのまとまりみたいなものが、すごく無いなって思います。横のつながりみたいなものが。そういうものを作っていきたいなと思ってそのNPOをやっています。今回「なら国際映画祭」という場所を借りて、こうやってみんなで助け合いながらブラッシュアップしていこうという場は僕にとってもすごく勉強になると思って参加させていただきました。よろしくお願いします。

日本の映画界ではプロデューサーが足りない

河瀨:
別所さんと去年の釜山国際映画祭で自分達のイベントが終わった後に飲みながら、「ぶっちゃけ、日本映画って今どうなんですか」っていう話をしました。韓国や中国の若手の作家たちは、20年前は全くそういう人たちの存在なかったところから、どんどん出てきています。あれよあれよという間に日本人監督の数を抜いていくような勢いです。アジアだけでいうとほんとそんな感じ。アジアっていうより東アジアですね。
釜山のキム・ジソクさんってディレクターの方に伺った話ですが、ほぼ20年ぐらい前、例えば是枝さんとか私とかが出てきた頃、たけしさんとかが出てきた頃って言っていいと思いますけど、世界的に日本ブームだったそうなんです。こんな尖ったものが日本から出てくるんだみたいな、そういう風なざっくりいうと評価としてあったと。
それが、韓国で釜山国際映画祭が立ち上がり、ぶわーって成長してアジアの№1みたいになりました。「アジア映画を見つけるんだったら釜山に行こう」って欧米の人達が言っている。そういう状況の中で、韓国政府もそこにものすごいお金をかけて、マーケットも置いて、映画の売り買いも始めて・・・ていう風にものすごいことになってきました。
じゃあ、そういう風になっていく中でキムさんの日本映画に対する思いってどういうものか聞いたんです。
そうしたら、「正直見つけるのが困難です」って言われたんですね。この言葉は衝撃的で、「そうかな」とは思っていたんだけども実際そう言われた時に「何なのこれは」と思ってですね。で、別所さんに伝えました。
SSFF & ASIAには、インターナショナル部門、アジア部門、日本部門ってあるんですが、その中でも日本映画の部門と、例えばインターナショナル部門、それぞれの中でグランプリ決めて、最後のグランプリを決めるじゃないですか。すると、やはり日本映画の部門からは出ないんですよね、最終グランプリは。
その辺はどうなんですか?

別所:
ある年には該当なし、と非常に厳しい結果がジャパン部門にはあります。僕は映画祭の主催者側なので審査にはアンタッチャブルで一切入らないんですけれど、そういう現実をつきつけられた年もあります。それは河瀨さんが審査員をされた年ではないですけど。
やはり海外から来た映画祭のプログラミングディレクターや、国内外の色々な方々から、「日本の作品から受け取るものが作品として世界のものと違う」と言われた時に、僕も俳優としても、映画祭の日本の側にいる主催者としても悔しかった。何が足りないのか、どうしたらそれが変わるのか、やはり当事者の映像作家というか、映画を志しているみなさんと話してみないと分からないなと。
ひとつは、よく客観的に言われるのは、今の河瀨監督の話でいうと、中国や韓国に国家規模でバックアップをする支援体制があるのは確かなんですよね。行ってみると分かるんですけど、どんなものでも才能があると思った人には徹底的に国が投資をしてバックアップして世界に出すみたいな。そういった仕組みは確かに中国と韓国は日本に比べるとあるかもしれません。でもそれは、国の問題だとはいえ、それを突き上げるための力がこちら側にないといけないのも事実なので・・・それは今日はある程度置いておいて。
もう一つはよく言われるのは、才能はいっぱいあるんだけど、それを見つけて磨いてくれるプロデューサーに出会えない、みたいなことです。プロデューサー論というのかな。或いはお金を付けてくれる人になかなか出会えない、とか。これは役者も同じです。自分達で一生懸命やりたいし、才能あると思ってるし、場が与えられたらやる気でオーディションをいくらでも受けるんだけど、中々そこにつないでくれる人がいない、っていうような。才能は有るんだけど才能を見つけてもらえないとか、見つけてもらう場に自分がいない、とか。そういうもどかしさ。多分皆さんもそう感じている、それが二つ目です。
今日この場で本質的に話さないといけないと思うのは、「じゃあ自分は本当に何を表現してるのか」ということです。
それは、磁石みたいなものなのです。寄ってきてもらったり、一緒に何か考えてくれる人を探しだしたり。場合によってはもぎとってその人連れてくる、熱意みたいなものが日本人は奥ゆかしいからないのかなって。

河瀨:まあそうですね。確かに。

別所:
よく言われるのは「黙っていてもいいものはいつか認められる」みたいな。匠の気持ちみたいなものが日本の人はすごく強いので。役者でも芸術家でも陶芸家でも、「いい物は一生懸命自分が作っていればいつか認められる」、みたいな感覚が強いのかな。

重要なのは自分の言葉を持っているかどうか

河瀨:
やはりインターナショナルという意味では英語力がないと自分でアピールすることが出来ない。たぶんここにいらっしゃる皆さんはある程度英語力もあると思うのですが、無い場合はプロデューサーに英語力がないとそれを売っていってもらえないし、プロデューサーが海外の人でないと、海外にその力が及ばなかったりするのかな、とも思うんですね。

そことの出会いが日本だけで作っていたら、なかなかないじゃないですか。言語もそうだし、関係性も、どこに行けばだれと出会えるのっていうのが、ちょっとやっぱりこう・・・広がりがないと。私は今年カンヌの国際映画祭の学生映画部門の審査員長やらせてもらったんですが、カンヌに来た学生達の映画とか短編映画の何が日本の子たちと違うのかっていうと、大学がインターナショナルなんですよ。映画学校がインターナショナルなわけですよ。
色んな国の人達がそこにいて、色んな意見を戦わせて、そして自分がやっぱり監督をもぎとっていく。否定しているだけじゃ絶対監督なんてなれないし、黙っている匠の姿勢では、何考えているのか分からないっていう風になって、孤立してくだけ。そこでの真っ当な意見をちゃんと真っ当な物言いで誰に伝えるのか、みたいなことを訓練させられていると思ったんです。
だから、賞を取った子達もちゃんとお礼の言葉も述べられるし、自分のやりたかったことも言える。その辺もやはり一つの要因。だから日本の英語教育のあれとかもあると思うし、インターナショナルな映画学校がないということもあるなと思います。
深田監督が「今年、自分はラッキーだった」みたいなことを先ほどおっしゃりましたが、ラッキーだけじゃなくて、今回の『淵に立つ』と以前の作品との差があると思うんです。カンヌに行ってそこで賞を取るという大きな差があると。

深田:
はい。今の話にちょっと接続する形で、繰り返しになるかもしれないんですが、やっぱり僕自身がいますごく実感していること、或いは海外に行ってより実感していることなんですが、やはり「自分の言葉を持っているかどうか」ってすごく重要なことだと思うんです。
私の『淵に立つ』という作品がカンヌ国際映画祭にセレクトされた理由は何かと言われたら、監督としては「映画が良かったからだ」と言えばそれで一番スマートなんですけれど、やはりそれだけでは無いと思っています。
今回の作品で一番大きな要因は脚本の完成する前の段階でエムケーツーっていうセールスの会社が入ってくれたんですね。彼らに何でこの作品に入ってくれたのか訊いたら、脚本が気になったとか過去作を見てとか、信頼できるプロデューサーを持ってきたとか、いろいろな理由を言ってくれたんですけど、最後に決め手になったのが監督ステイトメントだっていうんです。
多分この中でも、書いている人もいれば書いてない人もいると思うんですけど、少なくとも海外に持ってく時には絶対書いた方がいい。書くべきだと思うんです。やはり監督自身の言葉で「何でこの映画を作りたいのか」「この映画で何を訴えたいのか」「何を描きたいのか」ということがちゃんと書けているかどうかっていうのがすごく重要です。
つまりエムケーツーの担当の方は、僕がぐじゃぐじゃ書いたことが結構響いた、それが決め手になったよ、みたいなことをおっしゃられていました。それを聞いて、ああなるほどなって。自分はそこまで意識せずに書いていたんですけど、やっぱりその作家性、そのひと個人の世界観みたいなのを問われる世界なんだな、と感じました。特に今日の後半はそういった話をしていくんじゃないかなと思っています。

河瀨:
監督ステイトメントは、私も必ず書きます。そこが自分の言葉の一番中心になりますから。それを自分で書きながらも自分で客観的に、「何がやりたいのか」ってことを見つめることが出来るので。そんなに長くない、散漫でない。とにかく、一本筋の通る感じで書く。まあペラ2、3枚ぐらいかな。そして、そこから自分が脚本にも落とし込んでいくわけだし、そのコンセプトがお客さんに伝わることが大事。
だけどそれが世界中にゴマンとあってもみつけられないじゃないですか。みなさんがこうしてここに12名いらっしゃるように、この12名の中にまず入ってないとこんな話も聞けない。
そして、そこから次、プロデューサーが不在と言われている中で信頼するプロデューサーはどこで見つけるのでしょう?

キャリアにおける映画祭の価値

深田:
プロデューサーは、ヨーロッパとか海外にいると実感すると思うんですけど、重要なポジションで動いています。プロデューサーはただお金を集めている人ではなくて、クリエイティブに動いている人が多いです。
そういった人達をどうやって見つけるのかが重要だと思うんですが、身近なところだと映画祭だと思います。特に僕は別所さんがやられているショートフィルムの世界は特に重要になってくると思うんです。長編だろうが短編映画だろうが、低予算だろうが無名だろうが、ちゃんと英語の字幕をつけて映画祭にアクセスすると、監督は作家・芸術家として扱ってもらえます。
芸術家は海外ではものすごくステータスが高いです。僕の『ほとりの朔子』という作品はフランスの「ナント三大陸映画祭」っていうところで上映させてくれたんですけど、それが終わったあと、フランスの配給会社が声をかけてくれて、配給を考えているんだって話になった時に、彼らが制作とプロデュースもやっていることを聞きました。その時僕が次に撮ろうと思っていた『さよなら』っていう映画なんですが、英語の企画書を持っていたのですぐに渡して、「こういう映画を作ろうと思っているんだけど一緒にできないか」っていう話をしました。
それでその『さよなら』っていう作品をシネマトモンドというフランスの外国映画の支援金にアクセスすることができた。それは、僕のパートナーがいないと絶対できなかった。それで初めて挑戦したんですが残念ながら駄目でした。その時通ったのが河瀨監督の『あん』だったんですけど(笑)
シネマトモンドって新人部門とベテラン部門に分かれてるんですね。海外では、新人は年齢で分かれるのではなく、キャリア、作品の本数で大体わかれるんです。ロッテルダム映画祭も新人コンペっていうのは、確かメインコンペは長編映画3本まで。シネマトモンドは長編映画2本目までが新人として扱われて、3本以上撮っている人はベテランにいれられる。
私は、『さよなら』の時は新人という気持ちでしたが、4本目だったので、新人には入りませんでした。そうなってくると、ベテラン部門で、ウォン・カーワイとかヴィム・ベンダース、河瀨直美と戦わなくてはいけないので、恐ろしいことになりました。向こうだとどういう映画を作ってきたのか実績が評価の対象になってくるので、当然厳しい戦いになってくるが、新人部門だとキャリアはそこそこ同じなので比較的通りやすい。
そういった意味で短編映画はすごく大事です。僕自身、長編映画を自主映画でずっとやってきっちゃったんだけど、やっぱり日本だとすぐ長編映画を作ろうっていう傾向が強くて、低予算、目の前にあるお金だけで、100万、200万でも長編映画を作ろうとします。世界の映画祭に応募して本当に認められてポンポンといくのは本当に運のいいケースです。
でも海外の場合は、学生映画の場合でも長編の場合はちゃんと予算を集めて、1000万、2000万、4000万で作っているケースが多いです。そうなってくると、予算の多い少ないは、クオリティとは無関係ではないので、厳しい勝負になっていくうちに、日本の制作者はいつの間にか新人である権利も失っていく。しかも海外でのキャリアは本数が重要で、例えば長編映画を20本、30本作っているのにそれに見合った評価をされていないという色がついてしまいます。自分のキャリアをどう築いていくかという、セルフプロデュースという考え方にはとても重要ですね。

参加監督一覧

  • 上野遼平

  • 川島直人

  • 完山京洪

  • 小寺和久

  • 齋藤俊道

  • 島田 角栄

  • 吹田祐一

  • 竹本祥乃

  • 近浦啓

  • 中里洋一

  • 湯浅典子

  • 渡邊世紀

<特定非営利活動法人 なら国際映画祭実行委員会について>

平城遷都1300年目となる2010年、映画作家の河瀬直美をエグゼクティブディレクターに迎え始まった「なら国際映画祭」。2年に1回開催される映画祭の企画運営の他、国内外若手監督と奈良を舞台とした映画製作や、こども・海外学生とのワークショップ、奈良公園での野外上映会、毎月3日間限定の移動型上映会など、映画の魅力を伝える数々のプロジェクトを実施しています。

■なら国際映画祭2016概要
開催期間:2016年9月17日(土)〜22日(祝・木)
上映会場:ならまちセンター、奈良県文化会館、春日野園地、ホテルサンルート奈良、他
オフィシャルサイト: www.nara-iff.jp