コラムColumn

フィリピン映画の輝かしい栄光

2016/04/25

伊多波一夫(Kazuo Itaba)

日本人が、フィリピンと聞いて思い浮かべるイメージにはどんなものがあるだろうか?自然災害、海外への出稼ぎ、スラム街の貧困など、マイナス面の印象を持つ人が大多数なのではないだろうか。だが実際には、フィリピンは、1960年代まではアジア一の発展を遂げる国家であった。戦争に敗れた日本のみならず、独立間もないアジア各国にとっても目標となる先進国だったのである。フィリピン以外のアジア各国の政治家、経営者、ミュージシャン、アーティストなどの中には、フィリピン留学経験者が多いことに驚かされたことがある。戦後のアジアでは、フィリピンは一番近い西洋社会でもあったのだ。

戦後間もなく映画産業も復興し、数多くの映画を製作するアジアではインドに次ぐ映画大国と言っていいほどの規模を誇っていた。そして、繁栄を続ける映画産業は1970年代〜80年代初頭にピークを迎える。そんな黄金期、個人的にも思い入れの深いフィリピンを代表する二人の映画人を紹介したい。

まず一人目は、リノ・ブロッカ(Lino Brocka/1943~91年)。70年代、80年代に初めてフィリピン映画に接した多くの日本人が観たのは、彼の作品なのではないだろうか?筆者も初めて観たフィリピン映画は、リノ・ブロッカの1975年製作の代表作品「マニラ・光る爪」(原題:MAYNILA:SA MGA KUKO NG LIWANAG)だった。貧しい地方の生活、行き場のない都市部の貧富の差、そして暴力。リノ・ブロッカ、そしてフィリピン映画に強烈な印象を受けたのを覚えている。その数年後、東京のある映画祭の企画でリノ・ブロッカ特集が組まれた際に、彼の多くの作品を観る機会を得たことを今でも幸運と思っている。フィリピンでさえも、今ではその作品群を観ることは困難な状況であるからである。だが2016年1月8日、マニラにシネマテークがオープンしたとのニュースが飛び込んできた。そして、記念すべきオープニング作品は、なんと「マニラ・光る爪」! 同施設の開設が、停滞するフィリピン映画界の刺激剤になって欲しいものだ。

二人目は、キドラット・タヒミック(Kidlat Tahimik/1942年~)だ。彼は、ルソン島北部バギオ生まれでバギオ在住。2012年には、「福岡アジア文化賞—芸術・文化賞」を受賞している。その受賞理由を紹介すると、「タヒミック氏は制作、監督のみならず、脚本、撮影、編集、出演まで自ら行う個人映画作家のアジアにおける先駆者的存在として、世界の映画文化に大きな貢献を果たしてきた」というもの。日本でも上映される機会が多いタヒミック氏の代表作には、ベルリン国際映画祭批評家賞を受賞した「悪魔の香り」(原題:Kidlat World Mananangong Bangungot/Perfumed Nightmare/1997年)や、タヒミック氏自信の家族を追ったドキュメンタリー映画「虹のアルバム 僕は怒れる黄色’94」(原題:Bakit Dilaw Aug Gitna Ng Bahang-Hari? / I am Furious Yellow ’94; Why is Yellow Midddle of Rainbow/1994年)などがある。フィリピンのバギオを旅行した際に偶然タヒミック氏にお会いしたことがあるが、とても物静かな印象を受け、氏特有のふんどし姿のパフォーマンンスのイメージが強かったためかそのギャップに戸惑った思い出がある。

ブロッカ氏亡き後の90年代以降から現在まで、フィリピン映画にとっては華々しいとは言い難い状況が続いている。年間の製作本数も、なかなか回復は難しい状況なのだ。こんな状況の中、フィリピン政府もフィリピン文化センター(CCP)を通して支援に力を入れ始めているので今後の成果に期待したい。何しろ、銀幕のスターが大統領にまで登り詰めた国である。映画に対する国民の支持は失われているとは思えない。

 

フィリピン映画を現地で楽しむ

離島部やマニラの下町などでは昔ながらの単館の映画館も残っているが、フィリピンも他国と同様にシネコン(シネマ・コンプレックス)が主流となり、単館映画館は減少の傾向にある。その代表が、SMやRobinsonに代表される巨大ショッピンングセンター内のシネコンである。少ない所でも4館、多いところでは10館前後を擁するシネコンまで現れている。フィリピンの映画館には、他の国と(もちろん日本ともだが)違う特徴がある。

そのひとつは、個々の映画館の規模が大きく、観客席数やスクリーン・サイズも大きいことである。ちょっとしたコンサートにも使えそうな広さなのだ。シネコンも含め多くが二層構造の客席になっていて、1階部分の一般席とアリーナ席、2階部分のバルコニー席で構成されている。料金はどちらでも一律のところもあれば、バルコニー席に上がる階段脇でチケットをチェックする別料金制のところもある。その値段の差は、10〜20%の違いでしかないのだが。

そして、今では日本でも少ないだろうと思う、全席自由、入れ替えなしなのだ。入場も退場の制限もない。その気になれば、朝から深夜までいることも可能なのである。その理由について考えてみたことがあるが、フィリピンン人特有の時間に対する感覚を考慮したものではないかと推察している。フィリピンでフィリピン人と待ち合わせをして、時間に遅れるのを多くの日本人が経験している。日本人以上に腕時計にこだわるフィリピン人だが、その時刻があっていることも稀なのである。チャンスがあるなら、空港やバスターミナルなどでフィリピン人の腕時計の時間をチェックしてほしい。時間にルーズというかこだわらないフィリピン人気質を考慮したのが、入れ替えなしの制度が未だに続いている理由なのではないだろうか。

フィリピンで映画を見る楽しみは、ハリウッド作品などが日本より早く上映されることが多いことだ。その理由として、英語の作品には字幕が入らないので余分な作業が要らないということがある。全ての観客が内容を理解しているのかは疑問だが、時々親や兄弟がストーリーを子供に説明している場面に出くわすこともある。

そして、フィリピンで映画を観るべき1番の理由は料金の安さだ。フィリピンも他国同様に物価が高騰している。映画料金も例外ではないが、それでも未だに日本円で500円以下で楽しめるのは貴重だろう。

上映作品、上映館、上映時間は、Facebook、Twitter、ホームページで確認するか、現地の新聞に載る毎日のスケジュールを参考にするのも有効だ。でも、あえてアドバイスするなら、直接映画館に行って確認するのがベストと言える。私自身、Facebookやホームページ、新聞広告を見て映画館に行き、上映時間はおろか上映作品まで違っていた経験がある。上映作品が入れ替わる木曜日は、特に注意が必要だ。

そんなフィリピンでの映画鑑賞だが、日本人には問題と感じることもある。先にも述べたが、字幕が無いことが挙げられる。ハリウッド映画なら諦めもつくが、タガログ語オンリーのフィリピン映画、さらにタガログ語に吹き替えて上映される外国映画(香港映画はこのパターンが多い)の場合は困る。チケットを購入する前に、タイムテーブル表でチェックをしないと後悔することになる。私自身は、日本映画をタガログ語吹き替えで観てしまい10数分で退場した苦い思い出がある。

そして、もうひとつ日本人には耐えられるかどうか?それは、フィリピン人観客のマナーの問題だ。アジア10数カ国の映画館に行った経験から言うと、個人的な感想ではフィリピンの観客のマナーは中国と並ぶ最低レベルと言わざるをえない。もちろん映画に没頭し、そのワンシーンに一喜一憂するような反応は雰囲気としては嫌いではないのだが、携帯電話で会話する人や映画を観ないで隣同士でずっと世間話をしているおばちゃんとかは勘弁してほしい。

 

フィリピンの魅力を楽しむ

よく日本は外国から見ると独自の習慣、風習があると言われるが、フィリピンも日本に負けず劣らずその独自性は多様に富んでいる。われわれ日本人は英語が容易に通じるというオブラートに惑わされ、フィリピンの魅力に気づかないでいるような気がする。今、日本では、フィリピンへの英語留学がブームとなっている。それでも、そういうフィリピン訪問者の増加を含めて日本からの旅行者数は、すぐお隣の国としてはまだまだ少なすぎるように思う。同じような島国で、日本各地には独特の風習、豊かな自然があるように、フィリピンにも島を隔てただけどころか、山をひとつ超えただけで違う言語、風習、自然、さらには民族までもが異なる多様性がある。ひとりでも多くの日本人に、そういう文化も映画同様に楽しんでもらいたいものだと思う。

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「マニラ・光る爪」

「悪魔の香り」