Column カンボジア

コラム4 カンボジアの映画について-AsuaNetwork part2


西村清志郎

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市場で売っている映画

近年まで、カンボジアの映画がなかなか伸びず、予算があまり組まれなかった理由の一つに、違法コピーDVD(少し前だとVCD)の格安販売(1枚1~2ドル程度)が挙げられる。映画が上映されるとその翌日、映画によっては上映前にコピー映画が市場に並ぶことがあった。実のところ、これは現在もあまり変わっておらず、ハリウッド映画やディズニーなどの海外作品はカンボジアで公開される以前から安価なコピー物が出回ったりしている。ただし、カンボジアで制作された作品に関しては、以前と比べてかなり厳しく取り締まりが行われ、コピーDVDの販売店でもカンボジアの映画DVDだけは正規品(1枚3~5$程度)の取り扱いだったりする。

また、DVDショップでのカンボジア映画の違法コピー物の販売は少なくなっているが、コピー代行業者は未だ多く存在しており、そこで頼んだ場合は正規品の購入と比べ3分の1ほどの価格で購入も可能である。さらに、学校近くや人が集まるエリアには必ず小さなDVDレンタルショップがあり、1日単位で安価な貸出し(500~1000リエル、約15~25セント)などが続いている。

その他の要因として、数年前から急激に普及率が高まったスマートフォンの存在もある。フェイスブックを仲介して紹介される違法無料ダウンロードサイト、また街角にある携帯ショップの多くが、映画データをそのままスマートフォンにコピーしてくれるといったサービスを行っており、その価格も1本あたり50セントから1ドルとDVDを購入するよりも安価である。


映画館の今、昔

在住外国人の視点からすると、カンボジアの映画シーンがはっきり変わったと感じたのは2011年9月からだろう。それまで映画館でやっている作品の多くはカンボジアで制作されたB級ホラーものばかりであり言語は全てクメール語、入場料は大人で75セントから1.5ドル程度。老朽化が進んだ映画館では、館内照明の暗さと場末感を良いことに映画を楽しむ場所というよりも、カップルでイチャイチャするための空間といったイメージであった。そんな中、ハリウッド映画を含め海外からの作品の上映権利を正規で購入し上映する映画館「レジェンドシネマプノンペン(Legend Cinema Phnom Penh)」が新しく登場した。新しい座席と快適な空調、きちんと計算された音響システム、上映される映画の言語は英語(クメール語字幕)のほか、タイムテーブル通りに作品が上映されるなど、それまでの映画館とは異なり、純粋に映画が楽しめるようになっていた。

その後、海外作品を正規で上映する映画館はプノンペンを中心に続々と登場し始め、2015年7月にはシェムリアップに「プラチナムシネプレックス(Platinum Cineplex)」がオープンした。金額は2Dだと大人3ドル、3Dなら5ドルで別途3Dグラスが1ドルとなっており、映画館入口ではポップコーンとコーラセットが4.5ドルから販売されている。この金額はカンボジアの一般的な所得(月収120~250$程度)からすると決して安いものではないが、週末になるとカンボジア人カップルや家族が行列をなしている。

 


カンボジアで撮影された映画、題材とされた映画

カンボジアで撮影された映画で最も有名な作品は2001年に公開されたハリウッド映画「トゥームレイダー(Tomb Raider)」であろう。アンジェリー・ナジョリー(Angelina Jolie)主演で、カンボジアで全シーンの3分の1が撮影された。この撮影をきっかけとし彼女はカンボジア人の男の子を養子として育て始め、その後も幾度となくカンボジアに訪れるようになっている。次に高い評価を受けているのが、カンボジアの内戦時代、クメールルージュを題材とした作品「キリング・フィールド(Killing Field)」(1984年公開)である。この作品がカンボジアの負の歴史を世界中に知らしめるきっかけともなり、カンボジアの復興にも一役買うことにもなった。また、実際にはカンボジアではなくフィリピンで撮影された作品ではあるが「地獄の黙示録(Apocalypse Now)」(1979年公開)も公開当時は評価が高かった。内容としてはベトナム戦争をきっかけとして、隣国カンボジアに自分の王国を造ったアメリカ軍兵士を暗殺するためにカンボジアという秘境を旅していくといったストーリーである。

日本映画では、1999年に公開された「地雷を踏んだらサヨウナラ(TAIZO)」(浅野忠信主演/Tadanobu Asano)があり、この作品は内戦中に実在しカンボジアで命を落とした悲劇のカメラマン一之瀬泰造(Taizo Ichinose)氏のストーリーである。また2011年には「僕たちは世界を変えることができない。(but we wanna build a school in cambodia.)」(向井理(Osamu Mukai)主演)が公開された。この作品は他の映画と比べるとかなり趣が異なり、パーティや合コンに明け暮れていた大学生が、ひょんなことからカンボジアに学校を建設するために活動を開始するといった実際にあったストーリーである。そんな実話を人気俳優が演じたことにより、カンボジアイコール(身近にできる)ボランティア的なイメージとなり、その後多くの日本人大学生が同様の学生運動をするためにカンボジアに訪れだすきっかけとなった。

これら以外にも実際には多くの作品がこの国で撮影されている。

 

カンボジアインターナショナルフィルムフェスティバル

毎年12月初め、6日間に亘って、カンボジアインターナショナルフィルムフェスティバル(CIFF/Cambodia International Film Festival)が開催されている。このフェスティバルは2010年から始まったもので、カンボジア国内で撮影された作品を始め、日本を含む世界各国から集められた50作品ほどの映画やドキュメンタリー、そしてアニメーションを都市部の映画館で上映。カンボジアの若者たちにもっと世界の映画を見てもらい、映画を身近に感じ、興味を持ってもらい、また、他国の撮影技術や文化などを映像から学ばせようという目的がある。

それら映画は都市部の大型映画館やイベント会場で上映されているが、興味深いことは、それまで無断複製を行う者も多かったこの業界のスタッフ意識を変えることとなったことである。著作権、コピーライトの大切さを、集められた作品の管理、取扱いを行う映画館スタッフにきちんと伝え、一切の複製をしないように意識を変えていった。

 

 

コラム3 カンボジアの映画について-AsuaNetwork part1


西村清志郎

コラム1 カンボジアの映画産業についてpart1

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カンボジアの今

2010年3月にJETRO(日本貿易振興機構)カンボジアが首都プノンペンに開設された。

それまで、カンボジアと言えば世界遺産「アンコールワット(Angkor Wat)」であり、多くの日本人はシェムリアップ(Siem Reap)を訪問しただけで他の都市には寄ることなく、カンボジアイコール「地雷・貧困・危険」というイメージを持ち帰っていた。しかし、これを境として、それまで緩やかだった日本からの投資は急速に増加し、ビジネス視察の場、「チャイナプラスワン」としてプノンペン(Phnom Penh)に訪れる日本人が急増した。以降、カンボジアのイメージは徐々に覆されていくこととなり、「東南アジアにおける将来的なビジネスの場」として、また「リゾート観光の国」として日本のメディアで紹介されることも多くなっていった。

実際のところ、カンボジアの玄関口として国際線の乗り入れが可能な空港は、プノンペン国際空港、シェムリアップ国際空港、そしてシハヌークビル(Sihanoukville)国際空港の3ヵ所がある。 それぞれの都市には特徴があり、プノンペンは首都であり、政治とビジネスの中心となっており、シェムリアップは観光の街、シハヌークビルは、マリンリゾートの街としてそれぞれが独自の文化で発展してきている。それらを日本でのイメージに当てはめてみると、プノンペンは東京、シェムリアップは京都や奈良、シハヌークビルは沖縄といったイメージと思ってもらうと分かりやすいかもしれない。


カンボジアでの映画歴史

1970年3月、カンボジア国王シハヌーク(Sihanouk)が他国を訪問中、軍部によるクーデターが発生し、カンボジアは混乱状態に陥った。その後、幾度となく政権は変わり、その度に内部分裂は広がり、国内状況は悪化していった。その後、1991年にフランスで開催された「カンボジア和平パリ国際会議(Paris International Conference on Cambodia)」で内戦終結が宣言され、20年に及ぶ内戦状態は一段落、翌年には国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)が活動を始めたことから、カンボジアは平和の道を歩み始めた。

そんなカンボジアに映画という言葉が入ってきたのは、フランス植民地時代(1863~)であったとされる。1920年には海外フィルムメーカーによりカンボジアでの初めての撮影が行われた。1950年代に入ると海外で映画制作技術を学んだカンボジア人による、初の国産映画が撮影され、その後、1960年代には様々な映画やドキュメンタリーが撮影され、カンボジア映画業界の「黄金期」と呼ばれるようになった。また1966年には、後にカンボジア国王となるノロドムシハヌーク(Norodom Sihanouk)王子監督による作品が公開されるなど、そのブームはとどまることを知らず、その数は300タイトルを超していた。また、それまで一部の特権階級の者しか見ることが出来なかった映画であったが、大衆向けの映画館も建設され、一般の人々が映画を楽しめる環境になっていった。 しかし、その後の内戦の影響もあり、約20年間の間に、映画という文化は完全に途絶えてしまっていた。

そんな映画が再興し始めたのが1990年頃であり、1993年を過ぎると1年に100タイトルを超す作品が発表され始めた。1994年にはカンヌ映画祭にカンボジア人監督の映画が提出されたりもしたが、そういった例はさほど多くなく、カンボジアで制作される作品の多くはB級ホラー映画やドタバタコメディーであり、幽霊や妖怪、そして巨大な蛇などが人々を襲ったりといったストーリー性は乏しい作品ばかりであった。

また、それまで映画に出演する役者は無名の者が多かったが、2005 年を過ぎ始めた頃から、人気歌手や知名度が高いテレビ男優・女優が主役としてスクリーンに登場するようになっていった。そしてそれまでホラー映画ばかりだった作品も、カンボジアに昔から伝わる話を題材とし、ストーリー性を重視し、予算も高く設定された作品も登場し始めた。

2009年にはカンボジアフィルムコミッション(The Creation of the Cambodia Film Commission)が発足した。この団体にはフィルムフランスとAFD(日本で言うとJICAのようなフランスの団体/Agence Française de Développement)による支援を受け、カンボジア文化芸術省が後援している。これにより、カンボジアの映画業界を国として後押ししていくということを正式にアナウンスすることとなり、その後、カンボジア国産映画の国際化は加速度的に進んでいくこととなった。

2014年には東京国際映画祭(Tokyo International Film Festival)に「遺されたフィルム(The Last Reel)」という作品が出品され、国際交流基金アジアセンター特別賞(The Spirit of Asia Award by The Japan Foundation Asia Center)を受賞した。この映画はカンボジアでも珍しい女性監督の初作品であり、同作品は2016年夏に「シアタープノンペン」という邦題で劇場公開されることが決定している。

 

 

 

コラム①カンボジアの映画産業についてpart1

Sopheap Chea (カンボジア)

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カンボジアに公式な映画学校はありませんが、組織や個人による、映画に興味がある人向けのワークショップや短期コースなどは存在します。2006年にリティ・パンによって設立されたボパナ・センターは映画、特にドキュメンタリー映画制作のワークショップを開催しています。また、若者たちにカメラ操作、録音、ビデオ編集、その他の技術を教えています。2014年、センターはカンボジアの若者12名に対し、ドキュメンタリー映画制作の方法についての研修を行いました。彼らの作品はbophana.onedollar.orgで見ることができます。

カンボジア・フィルムコミッションはカンボジアでの映画支援において、大きな役割を果たしています。彼らは映画監督業や衣装デザイン、メイク、音響効果などの分野に重きを置いた、CFC映画研究会という一連の研修プログラムを立ち上げました。2012年には、PSEと呼ばれる孤児院が、院で暮らす孤児向けの映画学校を創設しました。DMC(王立プノンペン大学メディアコミュニケーション学部)はジャーナリズムに特化してはいますが、ビデオジャーナリズムを学ぶ学生の一部は、映画界においても広く評価される素晴らしいショートフィルムを制作しています。ソシア・イネスが、このように働くカンボジアの若きフィルムメーカーの、卓越した例です。彼女の映画「The Rice」は2014年のTROPFEST SEAで最優秀賞に輝きました。

カンボジアの映画産業は4~5年前に息を吹き返し始めましたが、目立った映画監督はまだあまり多くありません。2010年以降は、ショートフィルムの制作が最も盛んに行われています。カンボジアの若きフィルムメーカーたちは、カンボジア国際映画祭、チャトモック・ショートフィルムフェスティバル、TROPFEST SEA、CHOPSHORT、ショートショートフィルムフェスティバル&アジアなどで自身の作品を上映する機会があることを把握しています。だから、ショートフィルムがどんどん制作されているのです。毎年何本のショートフィルムが制作されているかを示す確かな記録はありませんが、ショートフィルムを制作するカンボジア人のほとんどは35歳以下の若者です。私の知る限り、ショートフィルムについて学べる公式な場はカンボジアにはありません。しかし若きフィルムメーカーたちへインタビューをしたり、彼らの仕事を観察すると、ショートフィルムの繁栄の裏には多くの要因があるように見受けられます。

何よりもまず、カンボジアの若者はショートフィルムを通じて映画制作の手法を学ぶことができます。高額を支払って外国の映画学校へ行く代わりなのです。カンボジアには映画を学べる学校がありません。このようにして、カンボジアの若者は映画産業へと足を踏み入れていきます。YouTubeを使って映画制作の技術を独学で身に付ける者もいれば、経験者から実践で学ぶ者もいます。リー・ポーレンは独学のフィルムメーカーの代表例です。彼はかつてインタビューで「私は映画学校で学んだことはありません。全ては情熱から生まれたのです。私は芸術と科学を心から愛しています。そして映画に強く心を惹かれているのです。映画を制作することが大好きですが、ただ楽しんでいるだけです。独学も含めて観察や経験が、日々私を成長させてくれています。」[1]と話しました。映画に対する愛情や情熱を持って、ポ―レンは多くのショートフィルムを作り続けるのです。彼は特に次の3本の作品で、国内外からの注目を集めました。とある村の少女と彼女の犬を描いた白黒映画、「Iva」(2012)は2012年にベトナムで行われたイシネ・フィルムフェスティバルで最優秀脚本賞を受賞。2014年には「Duetto」がTROPFEST SEAで2番目に優秀な賞を手にし、最新作の「The Colorful Knots」では翌年の同映画祭で最優秀賞を獲得しました。「The Colorful Knots」はがん患者と2人のストリートチルドレンの友情を描いた作品です。

ラヴィ・HTも形式的なトレーニングを受けていないフィルムメーカーの1人です。彼はグラフィックデザインの技術を生かしてテレビの制作チームに参加し、そこで映画制作のノウハウを独学で学びました。その後、「クン・クメール・クーン・クメール(4K)」という名の、60名以上のフィルムメーカーからなるグループに加入し、情熱を共有できるたくさんの仲間と出会いました。レイヴィはショートストーリーの書き方やカメラ操作、映画制作に関するその他の技術についての知識が豊富です。2014年、参加者たちが制作したショートフィルムを地元のテレビ局で放送して競う、バイヨン・ショートフィルムコンテストに参加し、彼の作品「The Ring」が最優秀賞を受賞しました。

[1] http://www.khmerbird.com/entertainment/polen-ly-a-young-cambodian-filmmaker.html

コラム2 カンボジアの映画産業についてpart2

カンボジアの若きフィルムメーカーたちがショートフィルムの制作するのは、知名度を上げ、評判を得るためでもあります。ショートフィルムを作ることで彼らは公の場に出ることができ、何よりも資金提供者やプロデューサーになり得る人々に売り込むことができます。彼らはショートフィルムを用いて自分の能力を示し、どのような映画が作れるのか、あるいはクルーの一員としてどのような役割を果たせるのかを示しているのです。さらに、ショートフィルムは業界にとって重要であり、海外からの評価を得るには打ってつけの手段なのです。クメールのフィルムメーカーたちのFacebookのページ上の会話の中で、ジーン・バプティスト・ハエルは「良いショートフィルムは外国に出ることができ、映画祭で名前を知ってもらえ、国際的なプロデューサーと出会うことができる。」と言っていました。彼らの作品が認知され、評価されると、長編映画や将来のプロジェクトへの資金提供者を引き付けられるかもしれません。このように、ショートフィルムは長編映画を作るために重要なベースとなるのです。

若きフィルムメーカーたちはショートフィルムによって自身の才能や能力を証明することができます。彼らの作品集を築き、それぞれのスタイルを示すことができるのです。作品が映画祭に出品されて受賞すれば、フィルムメーカーは出資者たちから次回作への援助を受けられる上に、大きな信頼を得ることができます。フィルムコミッショナーのソー・チャンダラは「ショートフィルムはフィルムメーカーにとってビジネスの切り札であり、長編作品を作る前に彼らの才能や創造力を試す最高の手段である。」と述べました。さらに彼は、良いショートフィルムを作れば遅かれ早かれプロデューサーの援助が得られると付け加えました。マ・チャンパナという若きフィルムメーカーはチャンダラと似た考えを持っており、「映画業界で働くために、ショートフィルムはフィルムメーカーが長編映画を作る前に自信を付ける上でとても重要である。」と述べています。

カンボジア国際映画祭(CIFF)は2010年に開始され、カンボジアの若きフィルムメーカーたちに作品を公開する重要な機会を与えています。この映画祭はカンボジアのショートフィルム業界の歴史において大きなイベントとなっており、第6回CIFFは2015年の12月初旬に行われる予定です。その他に、2012年に開始されたチャトモック・ショートフィルムコンテストでも若きフィルムメーカーたちは作品を公開することができます。初年度には15本のショートフィルムがコンペティションに選ばれました。2013年に、チャトモック・フィルムコンテストはチャトモック・フィルムフェスティバルとなり、さらに12本の国内映画がエントリーされ、東南アジアの他の国々から9本の作品が出品されました。

 

カンボジアの若きフィルムメーカーたちは映画祭に加え、オンライン上で作品を共有する機会も活用しています。チェイ・サンバスは、Facebookなどのソーシャルネットワークはフィルムメーカーたちが自身の作品や創造力を売り込むことができる場であると信じています。彼らはそのような場で交友関係やネットワークを簡単に広げることができ、フィードバックや支援をすぐに受けることができるのです。

予算制約もまた、カンボジアの若きフィルムメーカーたちがショートフィルムを制作する理由の1つです。フィルムメーカーが若く未熟であると、長編映画の資金を確保することは常に困難です。極めて低予算で映画を制作するカンボジアの若きフィルムメーカーたちを、私は何人も見てきました。彼らは自分で貯めたお金や、家族や友人から集めた資金を投入することが多いのです。映画の撮影場所が自宅から遠く離れていたとしても、食費や交通費、宿泊費を含めて通常は300~400アメリカドルくらいしか使いません。このようなショートフィルムでは通常、スタッフに報酬を支払わないので、コストを低く抑えることができるのです。ヴァン・シダロは自身が今まで制作した映画の制作費はいずれも300アメリカドル以下であり、チームの誰も報酬を受け取っていないと話していました。ラヴィ・HTは100~200アメリカドルくらいを費やします。しかしながら最近では、カンボジアのショートフィルムの予算は3000アメリカドルにもなることがあります。それほどの資金を集めるために、一部のフィルムメーカーはクラウドファンディングを用います。また、映画を制作する資金を貯めるために他業種で就業する者もいます。

さらに、カンボジアでショートフィルム制作が盛んになったことには、デジタル時代の技術の進歩が大きな影響を及ぼしています。数年前は、映画制作に必要な道具は非常に高額であると同時に、他国の映画を見ることが困難でした。しかし2015年現在では状況は大きく変化し、カンボジアの人口の3分の1がインターネットにアクセスすることができます。ネットユーザーのほとんどが35歳以下の若者であり、しばしばスマートフォンを利用して他国とのつながりを持っています。チェイ・サンバスはフィルムメーカーについて、「スマートフォンという新しいトレンドが彼らと世界をつないでいる。彼らは世界を見て、これまで以上に懸命に働く。自身と世界中の若手とを比較し、さらなる努力を重ねるのだ。」と話していました。さらに彼は、若者たちはスマートフォンを使って撮影し、編集し、自身の作品を配信することができるとも語っていました。また、デジカメも撮影するのに便利であり、今は昔ほど高価ではありません。カンボジアのフィルムメーカーの間では、キャノンの5Dモデルが人気です。

最後に、ショートフィルムは表現することにおいて効果的な形であると考えられています。フィルムメーカーたちがショートフィルムで描くテーマはとても個性的です。ポ―レン・リーの「The Colorful Knots」、サムチャンリーツ・チャップの「Fistful of Pebbles」、ソシア・イネスの「The Rice」、そしてラヴィ・HTの「The Ring」などの映画は興味深いテーマを描いています。これらのショートフィルムはただのよくあるコメディやドラマではなく、社会について多くを語っているのです。現代の若者たちは、物事について語り、自分たちの国の物語を共有したいためにショートフィルムを作っています。それは昨今の状況下においては、ショートフィルムでしかできないことなのです。とはいえ、未来のカンボジアの長編映画に比べれば、ショートフィルムはまだまだ小さな手法でしょう。

 

 

Column by Sopheap Chea (カンボジア)

カンヌ映画祭の「ある視点部門」グランプリ受賞監督でもあるリティ・パン* (Rity Panh)が代表を務めるボパナ視聴覚リソースセンターのアーキビストを経て、現職。同センターにおける10年以上のキャリアの中で、視聴覚資料の収集及びそれらの資料を活用した文化イベントや、展覧会の実施や、カンボジア国内での数々の映画祭の企画・運営に携わる。

*「リティ・パニュ」と表記されることもありますが、ご本人のご希望により「リティ・パン」と表記しております。