Column インドネシア

コラム1インドネシアのショートフィルムの保管について

ヨセプ・アンギ・ノエン (インドネシア)

インターネット上でのストーリーテリング

インドネシアのショートフィルムは、ビデオやデジタル機器設備の増加に伴って発展しつつあります。著しい技術的な進歩は、新秩序体制の崩壊後に始まりました。この体制下では、とりわけ人々が社会情勢や政治問題を批判する場面において、表現の自由が抑圧されました。1998年に政治改革が起こり、その後安価で使いやすい映像技術の改良が行われたことで、ショートフィルムは人気のある表現媒体となりました。今日まで、何百というショートフィルムが制作され、数多くの映画関連コミュニティーが生まれ、ショートフィルムのフェスティバルやコンペがいくつも始まりました。しかし、こうしたショートフィルムを誰の主導で保管するかという最大の問題が、宙に浮いたままです。

シネマテック・インドネシア(Sinematek Indonesia)は、ジャカルタにある映画保管所であり、政府から受ける支援は非常に限られています。ここでは、劇場で商業的に上映された長編映画を含め、業界で作られた映画の保管に苦慮してきました。このためインドネシアでは、ショートフィルムの保管は映画の制作者が行うことが多くなっています。また、送られてきた映画の記録を残す役割を担うショートフィルムフェスティバルの主催者は、映画の保管場所を組織的に作っています。これら2つの方法—制作者による保管とフェスティバルによる保管—は、共通の必要性に基づいて発生しています。記録の保管は元来、その存在が認知され、将来その記録が利用されるという予測があって行われるものです。今以降“その時”が来るまで、それは研究における参照元となります。保管された記録が認知されるには、何らかの目的で必要になった人が誰でも入手できるよう、素材を実用的に管理できるような制度設計が必要です。

ショートフィルムと、ありのままの記録を残せるその力

インドネシアでは、ショートフィルムは低予算で質素に制作されています。費用効率を優先させるという純然たるパターンが、映画制作の現場に存在します。使うメイクの量を最小限に抑え、素朴さと率直さを残す方式です。言い換えれば、インドネシアのショートフィルムは、商業的な映画に描かれているよりも、特定の時間と場所における特定の社会情勢をリアルに見せられると言えます。ショートフィルムは、より正確に情報を提示できるものであり、この時代の記憶を象徴する視聴覚フォーマットによって社会問題への解釈を示すものなのです。

我々は、ショートフィルムに登場するさまざまな要素を分離し、それらを活用すべきデータとして扱うことができます。例えばインテリアデザイン、言語、ファッション、個人間の社交パターンといった側面に、個別に着目するのです。ジャワ文化の性格が強い街であるジョグジャカルタで、主流のメディアに触れている若手グループが制作した映画を見れば、多くのことが分かります。そういったショートフィルムはよく、ジャカルタの方言を会話の中に取り入れていますが、その方言はジョクジャカルタとは大きく異なる(物理的にも文化的にも)大都市で生まれたものです。言語使用にまつわるこの現象は、ジャカルタの視点で伝えられることの多いエンターテインメント業界の商業的な番組が支配的である結果として、社会全体に見られる現象です。ショートフィルムはこれに対抗して、エンタメ産業の中央集権化を風刺するアプローチを取ることが可能です。インドネシアという多様な文化を持つ国では、ショートフィルムは微妙な違いと文化的な発達の記録を残す力と柔軟性を持ち合わせているのです。

 

インドネシアで制作されているショートフィルムの質はさまざまで、それぞれに異なる意図と視点を持つ人たちが数多くの映画を制作しています。その上、この国の映画制作者の大半は、映画についての正式な教育を受けていません。私はこのことを弱みではなく、大きな可能性を秘めた事実だと認識しています。質は重要ですが、記録された内容も等しく重要で、それが当代の実状を表現できる内容である場合は特に重要です。今日作られたショートフィルムは、比較対照が可能な記録として、今後有用になるでしょう。私は、これを最大限活用する鍵は、いかに効率的に保管するかだと感じています。

イギリスのマンチェスター出身のポストパンクバンド、ジョイ・ディヴィジョンが、1970年代後半に「デジタル」というタイトルの曲を書いています。この曲には、以下のような歌詞があります。

僕は世界をそばに置いておく

ただそこで起きる出来事を見るために

戸の横に独り立ったままでね

そしてそれは少しずつ消え始める

君が消え始めるのを見ている

絶対に消えないでくれ

今日、君にここにいてほしいんだ

絶対に消えないでくれ

永遠に消えないでくれ…

(ジョイ・ディヴィジョン「デジタル」)

詞を書いたイアン・カーティスの意図と関係なく、私は、この歌のタイトル「デジタル」という語が、時間の新しい尺度と、記録に残す必要性という欲求を表していると受け取りました。私はこの語が、記憶に対する情熱や、人間の限界や、記憶すること—“忘却すること”という無力感への反発—について述べていると感じます。

歴史上、さまざまな現象や、社会の成功や、衝撃的な物語を記録するために、多大な労力が費やされてきました。我が国では、過去に王国を治めた王たちが、自らの栄光を後世に伝えるために何百もの石造寺院を建立しました。このデジタル時代においては、ショートフィルムが社会のための“家族の肖像”、すなわち歴史とイマジネーションを保存する視聴覚的芸術作品となり、人間の(人類の)熱い願いをむき出しにすることができるのです。

 

 

Column by ヨセプ・アンギ・ノエン (インドネシア)

インドネシア・ジョグジャカルタにあるガジャ・マダ大学にて、政治とコミュニケーション学を学ぶ。アジア・フィルム・アカデミーより奨学金を受け、2014年のベルリン国際映画祭のタレントキャンパスに参加。彼が脚本を手がけた『Blossom』は韓国で製作され、釜山国際映画祭で上映され、その後も数々のショートフィルムとドキュメンタリー作品を制作。『ホールインワンを言わない女』はショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2014にてグランプリを獲得。現在は、ジョグジャカルタにてインディペンデント映像制作会社 Limaenam Filmsを経営。