Column フィリピン 

コラム3 映画館が身近になった

Column by デニス・マラボ (フィリピン)

コラム1「アメリカとフィリピンで独立系映画を製作した経験」Column by Christopher de las Alasはこちらから

コラム2「折り紙:演技未経験の子役から信頼を得ること」Column by Christopher de las Alasはこちらから

ボルジー・トーレのファミリーネームに聞き覚えがある人もいるでしょう。ボルジーは、フィリピンの名優、ジョエル・トーレの血縁者です。「ジョエル・トーレの甥として知られるのは構いません。事実ですからね。それについて文句はありませんよ。いろんな場面で便利なこともありますしね。仕事上でギクシャクした時に、ジョエルの話が打ち解けるきっかけになることもあります」そうボルジーは話しました。著名な映画監督ペケ・ガリアーガの大規模なワークショップに実習生として参加したことで、ボルジーは映画製作への情熱を持ち始めます。「ラッキーなことに、ワークショップのクラスメイトに映像編集者のヴィト・カヒリがいました。彼は僕に映画監督のエリック・マッティを紹介してくれたんです」とボルジーは言います。彼は3年間、エリックの下で仕事をしました。どんな仕事も手伝いましたが、中でも多かったのはテレビコマーシャルの仕事でした。ボルジーによれば、クライアントからの要望どおりの作品を締め切りに間に合わせる日々は挑戦と鍛錬の連続だったようです。「テレビコマーシャルの製作はいい訓練になりました。色や衣装、セット、演技のレベルなど、自分の求めている特定のビジョンを周囲に伝えなくてはならないんです」ボルジーは続けます。「クライアントの要望とエージェントの要望とはまったく違うものです。作る側にも自分の要望があります。その3つの要望をうまく融合させることができれば、いいコマーシャルができます」

 

2年前、ボルジーは、自身初の長編映画となった「Kabisera」の監督と共同脚本を手がけました。漁師の父親が家庭内で自分のルールを守るために手段を選ばず行動する話です。彼はこの作品をシネマワンオリジナル映画祭に出品し、監督賞を受賞しました。「『Kabisera』の撮影は順調に進みました。サンバレス州に2週間滞在し、14日間休みなしで撮影したんです。困ったことに予算が足りなかったため、僕は自分の銀行口座を空っぽにしてお金を借りました。そうすれば撮影終了時にみんなにお金を払えますからね」ボルジー自身とプロダクションの仲間との関係が良好だったこと、最高のロケ地を探せたことが、撮影で恵まれていた点だとボルジーは言います。「ロケ地探しは難しかったです。いろいろな条件がありましたからね。家はビーチの隣で、生けすがなくてはならない。それに人里離れた場所ではあるが、車で行き来しやすくなくてはならなかったんです。探し当てた時はうれしかったですよ。僕たちが宿泊したホテルの部屋も、海に隣接していました」彼はまた俳優陣にも恵まれていました。その中には、映画で主演男優賞を取った、彼のおじのジョエル・トーレも含まれています。ジョエルに監督として接するのは緊張したとボルジーは明かしてくれました。撮影が始まる前に脚本をざっと読んだジョエルは彼に意見したそうです。「おじはこう言いました。『普段は脚本に対して口出しをしないが、相手がお前だから少しだけ有益なアドバイスをやろう』って」ボルジーは続けました。「おじは出演料を僕から受け取りたがらなかったけれど、僕は無理に渡しました」

ボルジーが自国の映画に何を求めているかと聞くと、映画はたくさんあるから何を見たいかは問題ではない。重要なのは多様なコンテンツを人々がどう受け入れるかにある、と彼は語りました。「多数の国で上映されるようなメジャーな映画は、いまだにラブコメディやホラー、ファンタジーが大半を占めています。しかし映画祭で上映される作品はもっと多様性に富んでいます。ペケ・ガリアーガやマイク・デ・レオン、リノ・ブロッカが作った陰謀が絡む映画をぜひ見てみたいですね。僕たちはそんな映画をまた作れるはずなんです。もしも僕が好きなジャンルを手がけるとすれば、次の3つです。1つは架空の船が沈む様を描いた悲劇的なパニック映画。もう1つは第二次世界大戦の映画。祖父には戦争経験がありますから、たくさんの話が聞けるんです。それからひねりの効いたコメディと陰謀が絡んだ“怪しい”映画も撮りたいですね」ボルジーはそう語ってくれました。現在、彼は2作目となる長編映画の撮影に忙しく日々を過ごしています。これはホラー映画で、今年中には公開される予定です。映画のワークショップへの参加をきっかけに、長編映画の脚本を書き、監督をするようになったボルジーですが、ここまでくるには長い道のりがありました。彼は自国の映画が復興を遂げると信じ続けています。

文:デニス・マラボ

写真:Meetkeso

協力:STATUS MAGAZINE

 

コラム②折り紙:演技未経験の子役から信頼を得ること

Column by Christopher de las Alas (フィリピン)

コラム①「アメリカとフィリピンで独立系映画を製作した経験」はこちらから
飛行機から降りると、生き生きとした街の懐かしい匂いが鼻先をかすめました。人間の営み、生活や愛といった濃厚な匂いが温かいブランケットのように私を包み込みます。その強烈な匂いは、漁師が家に戻ってきた時のように懐かしく、心地よく感じます。ワゴン車の窓から外を眺めていると、マニラの街の喧騒が通り過ぎていきました。背の高いモダンな建物のガラスや鏡に、通りの向こうにある暗い掘っ立て小屋や店が映し出されていました。そこには金持ちと貧乏人の経済的格差がはっきりと表れています。

車で都心から田舎へ向かうにつれ、ガラス張りのモダンな建物の代わりに田畑や果物の屋台が見られるようになりました。時折、道路脇に西洋風の店が見られます。居心地の悪さを感じる旅行者を対象としていて、水で薄め過剰に甘くしたコーヒーを飲むことができます。価格はアメリカのコーヒーと変わりません。フィリピンの労働者の平均賃金が1日およそ3.5ドルなので、こういった贅沢品にお金をかけられるのは、地元の富裕層だけです。

バタンガス州リアンに着いた時には、太陽はすでに沈んでいました。大通りに入ると、様々なメタルやクロムの車の騒々しいうなり音とともに、鮮やかな青と黄色のコンビニが私たちを出迎えます。そのコンビニに立ち寄って、水やお菓子、持ってくるのを忘れた洗面用具などを購入しました。車で近隣の地区へ進んで行くと、街灯が少なくなり、他の車も見当たらなくなりました。聞こえてくるのは私たちが乗ったワゴン車のブンブンという音や、デコボコの舗装されてない狭い道で車体が弾むたびに金属がきしむ音だけです。

FO_PS_5私の両親はアメリカの生活になじんできました。家は洗練されていない通りの先にありますが、内装はその影響が反映されています。その夜、寝る時にエアコンを使うという贅沢が許され、猛暑をしのぐことができました。

翌朝は私の映画に出演する役者、厳密に言えば演技未経験の子役に会う予定でした。企画されたオーディションに参加して分かったのは、大人の役者は非常に才能豊かな人が多かったのですが、子役の方は同じような条件を満たした子ばかりだということです。みんな、子供向けの商品のCM用に訓練されていました。また、子供たちの多くは映画の劇的な本質を理解していませんでした。そこで、見た目も振る舞いも田舎の子のような子役が必要なら、地元の子供たちを採用すればいいと思いついたのです。賭けのようなものでしたが、最終的にはうまくいきました。

私はあまり朝に強くないので、子供たちの集合時間を少し遅めの10時半に設定しました。1時間ほど打ち合わせをすれば、子供たちはランチへ行くことができます。主役の男の子が家の中に入って来た時は、興味深いと思いました。ポロシャツの模造品とアイロンのかかったカーキパンツというきちんとした格好で、脇の下にノートとペンを抱えていました。来る前に彼の母親が服を選び、マナーを教えたのだろうと思います。主人公の男の子や他の子供たちには、これが仕事だと思ってほしくありませんでした。役者から信頼を得ることは非常に重要ですが、相手が演技の経験がない子供たちなら、なおさらです。罫線の入ったノートは、打ち合わせだけでなく撮影の間も必要ありませんでした。

全員でテーブルを囲んで座った時、子供たちに自己紹介をしてもらいました。最初は私からです。英語で話すように勧めましたが、すぐに子供たちの英語が流暢でないことが分かりました。私は言葉に関してあらかじめ準備していました。野外撮影が決まった時、できるだけ多くのタガログ語を学ぼうと決めたのです。そうすることで両親が教えてくれなかったすべての月日を取り戻そうとしました。自己紹介の後、私は正方形の色紙を取り出しました。子供たちに色紙の束を手渡し、好きな色を選ばせると、みんなの目が興奮と驚きで輝きました。そして私のマネをしてもらいながらツルの折り方を教えました。これは、ただ折り紙を楽しむだけでなく、コミュニケーションの重要な練習も兼ねていました。言葉の壁があるので、コミュニケーションの大部分が行動やジェスチャーを通して行われると分かっていました。また、折り紙を教えることでコミュニケーションの基盤を作り、子供たちの信頼を得られることを期待しました。子供たちに作ってもらった様々な動物や昆虫、膨らませた紙風船は、後で役者のリスニングの練習で使います。最初の週は、折り紙で苦戦している子がいれば、うまく折れるよう手伝いました。しかし1週目が終わった時、私は気が進まなくなりました。これが子供たちに、映画のセットで解決できる問題に変換できるような彼ら自身の問題に取り組むよう教える手助けになると確信したからです。ただ他の創造活動は続けました。子供たちに絵を描かせて両親のためにカードを作ってもらいました。子供たちの親から信頼を得ることも同じくらい重要だと考えたからです。

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同じ頃、子供たちに家で台本を読んでこられるかどうか尋ねました。ただし、いつから練習を始めるかは伝えませんでした。最初の2週間が過ぎると、折り紙と創造活動の時間は減り、台本を読む時間が多くなりました。子供たちに台本について感想を聞きました。ところが、彼らがまだ子供だからか、あるいは英語の理解力のせいかもしれませんが、意見や言いたいことがあるようには見えませんでした。今考えると、これは子供にとって、やや誘導的な質問だったので私の失敗です。台本を理解してもらうだけでなく、役に共感してもらうため、別の方法を考える必要がありました。彼らを選んだのは、登場人物と間にたくさんの類似点を見つけたからです。しかしカメラが回り始めると、子供たちに「素の自分でいてもらう」ことは簡単ではありませんでした。翌日、子供たちに私の個人的な話をしました。自分の子供の頃の思い出です。次に子供たちのことを聞きました。彼らの家族、友達、学校での活動、好きなもの、嫌いなもの、好きな色、人に話せる恥ずかしい思い出などについて尋ねました。普通、プロの役者が相手だと、この方法は少し危険かもしれません。一度経験を共有すると、その経験を深く追求せず、感情が抑えられるかもしれないからです。セラピーのようなものです。しかし子供たちが相手の場合、経験を話すことで、彼らの正直な気持ちと台本の中の似たような状況を関連づけるのに役立つと思いました。これがうまくいったかどうか、はっきりとは分かりません。

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最後の週は模擬撮影を行いました。通常の映画のセットで練習するように、実際のロケでリハーサルをしたのです。本当に撮影しているかのように作業を進めていきましたが、実は、自分のデジタル一眼レフで撮影していました。フィルムを編集して後で子供たちに見せるためです。この場合もやはり、相手がプロの役者だと難しいと思います。自意識過剰になって演技に影響することがあるからです。一方、子供たちが相手だと、自分たちのやったことをすべて見ることができる方がいいと感じたのです。それにまだ子供なので、照明の位置が自分たちの顔がよく見えるかどうかなんて関心がないかもしれません。

撮影を始める前の週末、子供たちを映画館に連れて行くのはいい考えかもしれないと思いました。そこでランチと夕食、そして映画に連れて行こうと、マニラまでの日帰り旅行を計画しました。ところが、みんなワゴン車に乗り慣れておらず、途中で車酔いする子もいました。これがいい考えだったのかどうか自問自答していましたが、マニラにある巨大モール、モールオブアジアに着いた時、子供たちが楽しそうな様子に変わったのを見ると自分の判断に対する不安も消えました。後から知ったのですが、子供たちにとって自分の町から数キロ以上離れるのはそれが初めてだったのです。ショッピングモールで様々なものを見たり聞いたりして目を丸くする子供たちを見るのは楽しいものでした。子供たちはエレベーターに乗るのも初めてで、「胃が変な感じがする」と私に言いました。またエスカレーターの動くステップに乗ろうとしない子供たちを見るのも面白かったです。主役の男の子はすぐに自信をつけ、臆することなくさっとエレベーターに乗り込んで、女の子たちに勇敢なところを見せていました。

FO_PS_9その日、私たちは「007 スカイフォール」を観ました。子供たちにとって、初めて見る大きなスクリーンです。照明が暗くなり、映像がスクリーンに映し出された時、子供たちは目を見開きました。その驚きと感嘆に満ちた目の輝きを見て、子供の頃に両親が映画に連れて行ってくれた時のことを思い出しました。子供たちの様子が昔の自分と重なり、物語を作りたい、そしてできれば魔法を作り出したいと、私も映画からインスパイアされたこと思い出しました。

 

 

 

コラム①アメリカとフィリピンで独立系映画を製作した経験

Column by Christopher de las Alas (フィリピン)

私の両親はもともとフィリピン出身ですが、アメリカへ移住する際に経験した人種差別のせいで、できる限り私をアメリカ人として育てようとしました。しかし両親の努力にも関わらず、私は自分が同じ学校に通う他の子たちとは違うと感じていました。そして成長とともに、両親の故郷の歴史や文化にどんどん興味を持つようになったのです。

シンガポールにあるニューヨーク大学ティッシュ芸術学部アジア校に行くまで、アメリカの地理的利点をよく理解していませんでした。この国は広大で多様性あふれる大陸の中心に位置しているので、手頃な料金で他の国へ行き、珍しい体験することもできます。しかし、限られた経験しかしていない人が外国を訪れても、その国の独自の文化や人々ついて正確に伝えられるとは限りません。きちんとした見通しも柔軟性もない外国人の目を通せば、固定概念がより強固なものになり得ます。そして世界の他の国からさらに疎外されるのです。私たちは常にユニークな経験やアイデアを求める一方で、人間として世界中のすべての人が共感をもてる共通点も求めています。誰もが心の奥でそういった考えを持っていますが、同級生の多くは未知の世界へと出かけていました。つまり、夏休みや週末になると芸術的な試みのために調査を行っていたのです。私にとっては、そういった期間は両親の故郷へ戻り、祖母やフィリピンでの家族の生活について個人的な話をする機会ととらえていました。

私は以前、他の映画で監督やスタッフを務めたこともあり、今回の撮影は両親の母国で行っていたにも関わらず、私にとってその土地も企業も外国そのものであり、状況に応じて調整が必要でした。以下の情報は、映画監督して限定された私の個人的な体験を反映したものに過ぎず主観的な見解です。またアメリカとフィリピンで短編映画を製作した際に気づいた違いを示したものです。包括的な事実ではありません。

私の経験から言えば、アメリカでの撮影とフィリピンでの撮影における最大の違いは、お金に関することでした。機材のレンタル料は、アメリカで同等のものをレンタルするよりわずかに安いぐらいですが、人件費は大幅に安かったのです。だからと言って、仕事の質が低いと言うわけではありません。そのことに少し違和感を覚え、道徳的ジレンマを感じました。スタッフに標準的な賃金よりも多く支払えると思ったからです。けれども地元の人から慣例に従うようにアドバイスされました。

私がアメリカでグリップと呼ばれる現場のスタッフや照明係、電気技師、その他の技術者と一緒に働いた時の経験は好ましいもので、労働倫理もフィリピンと同じようなものでしたが、フィリピンのスタッフの方がよく働くという印象を強く受けました。それがニューヨーク大学出身で、アメリカの独立系映画の製作者として想定された私の立場のせいかどうかは確かではありません。もしかすると、それが標準なのかもしれません。そうは言っても労働法が若干あいまいなことと、恐らく仕事を失う恐れが常にあるせいで、スタッフの大半は自ら進んで長時間熱心に働いていました。映画のロケ地はマニラから3時間以上離れていました。込み入ったシーンを撮影するため追加のカメラを1日レンタルしました。最近ではフィルムカメラで撮影する人はほとんどいないので、レンタル会社がカメラをトラックに積んで、1日中使わせてくれるだろうと考えていました。もしくは、その会社から誰かが来て、カメラを持ってきて引き取ってくれるだろうと想定していたのです。そのシーンの撮影日の前日、いつものように全員が映画のセットで熱心に働いていました。そして夜になると、スタッフのうちの2人がカメラを受け取るためマニラまで行って、翌朝現場へ戻ってきたのです。撮影が終わった夜、カメラを返却するために2人は再びマニラへ行きました。そうすることで、2人のスタッフは24時間働くことになりました。後になってその2人は、24時間労働はよくあることで、私の映画で12時間働くことは実はかなり簡単なことだと教えてくれました。他の映画製作者から、フィリピンでは多くの映画が24時間体制で撮影されると聞いていました。それも2週間ほとんど休憩なし。主要作品の製作を早く終わらせるためだそうです。私も以前、睡眠時間がほとんど取れない48時間や24時間のフィルムコンテストで働いたことがありますが、24時間体制で映画全編を製作するなんて、少なくとも私は他では聞いたことはありません。それにも関わらず、アメリカの同じ立場のスタッフよりも、賃金は少ないのです。

他の相違点と言えば、アメリカとフィリピンでは、映画製作者としての私の立場の受け取られ方が違っていました。ニューヨーク大学は、アメリカの映画業界の中でも広く尊敬を集め、定評のある組織ですが、実際の映画業界では映画の学位よりも経験の方が評価されているように感じます。そのことに不安や不満はありません。また映画業界では、映画学科の生徒が特権意識と共に卒業して、底辺からスタートすることを嫌がると感じている人も多く、その不本意な気持ちも分かります。しかしフィリピンでは、まるで違った扱いを受けました。ニューヨーク大学というブランド名に助けられることもあれば、予期しなかった問題を引き起こすこともあったのです。

ニューヨーク大学は学校関連だけでなく、映画製作の分野でも、多くの人に認識されている有名大学です。そのせいで、フィリピンでは多くの人が私の映画の予算について誤解していて、映画製作者として認識される私の立場に付けこもうとしました。最初に契約を交わした費用が値上がりすることもあり、理由を聞くとその返答はつまらないことだったりします。そのケースの1つにキャストやスタッフの宿泊費があげられます。事前にホテルと宿泊費について打ち合わせをして、1人当たりの1日の金額を決めていました。ところが、製作終了後に支払いに行くと金額が上がっていたのです。理由を聞いてもホテル側は最初の見積もりは「以前の価格」としか言いません。ごくわずかな金額だったので、抗議はしませんでしたが、私の立場に付けこもうとする傾向には悩まされました。

以前の短編映画では、私にとって最大の問題は配役でした。そして今回の映画でも、配役には細心の注意を払おうと考えました。そこで、大学の教授から紹介された地元のスタッフを雇い、オーディションを仕切ってもらいました。マニラの役者の才能は、ロサンゼルスやニューヨークで行われたオーディションで見た役者たちの才能に匹敵することがすぐに分かりました。もちろん経験の有無に関わらず、優秀な人もいます。演技を見れば分かります。しかし、圧倒させられたり、刺激を与えてくれたり、驚嘆させられるような役者はほとんどいません。また、ロサンゼルスでも同じような光景を見たのですが、見込みのある子役の多くは、本人以上に自分たちの子供が有名になることに興味がある両親に付き添われていました。他にも気がかりな行動はありますが、面白いことにそういったふるまいは世界のどこでも共通しているのです。

 

 

 

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コラム1折り紙:演技未経験の子役から信頼を得ること

コラム2アメリカとフィリピンで独立系映画を製作した経験

 

Column by Christopher de las Alas (フィリピン)

数々の受賞歴を持つ映画監督、撮影監督。フィリピン系アメリカ人の両親を持つ。ニューヨーク大学にて映像を学び、卒業制作となる本作は、全米監督協会(DGA)よりアジア系アメリカ人学生部最優秀賞を受賞した。