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American Short Shorts Film Festival 2001
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2001.07.24映画祭と過ごした沖縄の夏

オキナワの実行委員会はたぶんA.S.S.の中でも一番の家内事務所なのではないかと思います。スタッフもボランティアですし。しかし、ボロは着てても、ココロは錦、狭いながらも楽しい我が家といった感じで、個人的にはいい感じではないかとおもっとります。人手不足の事務局に現れたのがにっしーこと西野ちゃんでした。できる人を離すはずはありません。腹グロ実行委員長の「私大変なの、助けて!」光線をもろに受けて下さった、頼もしい方のメッセージです。謝(とり)


映画祭沖縄事務局スタッフの西野美和子です。大阪から6月上旬にやってきたばかりの新米です。大阪での日々の暮らしの中、沖縄の熱い太陽と蒸せるような熱気が心を離れることがなく、とうとう「いてもたってもいられず」沖縄へやってきたわけです。けど、沖縄で「怒涛の映画祭生活」が待ち受けていようとは、、、。
沖縄入りしたまさにその日、鳥越一枝実行委員長からの一本の電話。「アメリカンショートショートの定例会議が今日の夜あるんだけど、どう?」その日から、映画祭沖縄事務局の大きなうねりの中へと、あれよあれよ、、と突入していきました。
沖縄事務局は鳥越委員長と大田康一くんとわたしの3人が常駐しています。鳥越敏腕委員長はほんとに働き者。1日中、途絶えることなく訪れるお客さんやスタッフのみんなからの電話などの談笑の合間にも次々とプランが頭に浮かんでいる様子。事務局のしっかり父さん(?)です。
大田くんは鳥越委員長の腕となり、足となり、頭となり、ちょこまかとよく動いています。のんびりムードは、あわただしい事務局にはなくてはならない存在です。事務局のひとり息子ですね。
私は、外出が多い事務局父さんの鳥越委員長と大田くんの留守をあずかる母さん、、といったところでしょうか???
さてさて、映画祭の話。7月6日、オープニングセレモニーの前夜祭を前に上映されたチャリティープレミア作品「ブルーリメイン」に、私はただならぬ思いがありました。というのも、筋ジストロフィーの患者さんなど車イスで普段、映画を見る機会が少ない方々を招待しようという試みを担当していたからです。車イスの方々を乗せた施設のバスが続々と会場に横付けされる中、なんだか私はとてもあせっていました。あまりにも多くの車イスの入場が予定されていて、それは会場となった沖縄コンベンションセンター劇場始まって以来の数でした。けれどもそんな心配はよそに、場外や場内スタッフの素晴らしい連携で招待の方々がスムーズに会場入りできて、ほっとひと安心。上映が終わり、会場の外まで見送りに出てみると、招待の方々の顔がほころんでいました。うれしかったですね。
映画祭も無事終わりました。映画祭自体を愛してやまないスタッフのみんなと出会えて、ますます沖縄が好きになってしまいました。


2001.07.21映画祭、その後

沖縄の夏は本格的になってきた。夏休みも始まった。事務局は、東京の西田さんの報告書関係の寒いメールにおびえつつ、ちちと作業をしています。今回、沖縄事務局のアシスタントをし、実行委員長の仕事の助手まで手伝ってボロボロになるまで働いてくれた、スーパーアシスタントの大田くんから映画祭にかかわったいきさつなどを書いてもらいました。彼は留学先のニュージーランドから映画祭のために帰国を早めたというかなり貴重な方です、念のため。(とり)



Photoはいさい!事務局アシスタントの大田です。大学生ボランティアで、学業の合間にお手伝いをさせてもらっています。2回目開催の時、前プロデューサー草野さんに何でもするからスタッフに加えてくれぇと懇願(?)した末にこのイベントに足をつっこみました。今年は開催1ヶ月前から実行委員長たちと西に東に朝から夜まで駆け回っており、慣れない仕事にあたふたしながらもなんとかついていったという感じでしょうか。Photoまた今回は事務局の仕事の他にも場外整理のリーダーを担当。当日の現場は事前ミーティングの予想とは大きく異なり、おいらも含め、下についたスタッフ達の動きの鈍さ(!?)に始終とまどいがありました(みなさんイベントのプロではないので、あしからず!ボランティアでございます)。委員長からのお叱りの言葉にもひるまず、観たい映画も観られず、時間ごとに沖縄の直射日光で黒くなり汗だくとなりながら、だんだんと汚れていったのです(ひぃー!!)。楽屋で横になったつもりが気づけば熟睡とか、晩飯のバーベキューの残りにもありつけない、なーんてこともあったなぁ、、、開催中あれこれ小さなトラブルもありましたが無事終了したあとの打ち上げは最っ高ぅでした!!!思わず生中4杯飲んだっけ、、、
最後に今回事務局の仕事を通して他のスタッフが経験し得ない様々なことをさせてもらい感謝!社会の流れ(この業界を含め)も一部垣間見る事ができてほんっとに有意義な時間をすごさせてもらいました。この機に実行委員長の鳥越さんにも感謝!その他いろいろお世話になった方々にも感謝感謝でございます!!!今年は結構実験的要素も含んでいたのでこの結果が来年にうまく実を結べばと思いつつ、このイベントでいっしょに働いてきたスタッフと次回会うのを今から楽しみにしています。来年また暑い沖縄の空の下で。 



2001.07.08スコールのような結末。

Photo7月8日 晴れ夕方からスコール

毎日、激しく晴れていた。お客さんもスタッフも汗ダクダク状態で、映画祭に参加していた。容赦なく照りつける太陽の照り返しで、入り口の赤絨毯の上は、異常に暑かった。

「今回、雨のオペレーションのノウハウを付けたいから、台風でも来ると良いね。ホッホッホッ。」と笑っていた福岡ボランティアで映画祭の全体進行をみている林さんの思いが通じたのか、最終日の夕方からものすごいスコールが降り出した。

ああ、ひどい、林さん。と心の中で叫んでしまった。救われたのは、丁度映画の上映が始まったばかりで、外に並んでいるお客さんが少なかったことだ。

急遽、雨対策を練り、オペレーションを変えることになった。申し訳ないが、お客さんは実験台である。というか、オキナワの映画祭は実験的実践と言う感じである、毎回。
Photoスタッフ一丸となって対処したので、大きな混乱もなく、私の心配もスコールとともに通り過ぎた。

思えば、この4ヶ月間の映画祭の出来事もスコールのようなものである。ムッンとする熱気とともにやってくる激しい雨も、確実に通り過ぎるし、するとまた太陽が照りつけ、涼しい風が吹くのである。まったく亜熱帯のオキナワ的な映画祭だな〜と一人感慨にふけりそうになった。いかん、いかん。そんな事より、運営をきちんとして、最後の一人の客を迎え、送り出してあげなければ・・・。

市民の手作りイベントのノリで始めた映画祭も三年目を迎え、今だ様々な仮題があるが、関わったすべての人が、何か一つ満足してくれればいいな〜と思うし、見てくれた方が、この映画祭のファンになってくれればと願う。アンケートに目を通すと、リピーターが多いことがわかり、確実にファンが広がっている実感を得た。

映画祭はブジブジに終了し、3日間で6000人近い方が、ショートを楽しんでくれた。
たぶん、きっと私は今日、誰よりもおいしいビールを飲むことができるだろう。

失敗もあったけど、それはすこし、おいといて(自分の都合ばかりで、すみません)、ネオンの海でおぼれたいです。


鳥越一枝




2001.07.07てんこ盛りのイベント

Photo7月7日 晴れ

朝、目をさまして一番に、窓を開けて、今日の天気を確認するのは、仕事柄、染みついた癖である。(普段私は広告の制作の仕事をしている)天気は晴れ。ビーチパーリーは、かなりきついくらいまで、暑くなりそうだ。覚悟を決めて、たぶん、無駄な抵抗であることはわかっているけど、日焼け止めをカバンにいれた。

初回の上映は午前11時30分から。準備は好調。予想を超えた参加者が朝から並んでいた。ちゃんと、人が集まっていることにホッとする。
昨日私に撃沈されたアシスタントの大田くんも気合いを入れて仕切っている。スッタフの休憩場所で西野が明るい大阪弁でチョロチョロ動いている。
そのほか、ボランティアで手伝ってくれているスタッフがそれぞれの部門を抜かりなくやってくれているので、今日からの本祭は、私は何もやることがない。各リーダーをつないでいるホットライン(インカム)で遊ぶくらいだった。このオキナワのスタッフは本当にありがたいひとたちばかりである。どうしてここまで一生懸命、働いてくれるのだろうか?といつも思う。どのかいさいちもそうなのだろうか。

今日一日で2000名近い人がアメリカンショートと出会った。アンケートにも、様々な声が寄せられ、毎年楽しみにしている方が多くいることがわかった。昨年まで、チラホラいた、熟年の映画ファンがちと、少ないように思えたが、まあいいか。

Photo会場の外では、並んで待っているお客さんのために、ダンスやジャンベのパフォーマンスが繰り広げられている。
これが最高にかっこいい。からだを使ってなにかを表現できる人たちは、ドンクサイ私から見たら、神様である。今日は、たくさんの神様が会場にいた。

心配したビーチパーリーのメニューも昼が焼き肉、夜がシシカバブ。すべて完食で、食材は一つも残らなかった。
肉を焼き続けたアメリカンスクールのお父さん、お母さん、先生。本当にごちそうさま。

Photoと、日記を書いていると、オキナワ会場は映画の話があまりなく、映画ファンにはものたりないのかな〜と、思ったりもするが、映画の周りにさまざまな仕掛けがあり、周辺のイベントを楽しむことが映画祭であるように思えてくる。もちろん、アメリカンショートをみることも忘れてはいない。

さて、明日、いよいよ最終日。まさにゴールは近いのだ。

鳥越一枝


2001.07.06いよいよはじまってしまった、映画祭

7月6日 くもり時々晴れ

オキナワの映画祭は今日の前夜祭でスタート。オキナワ島の宜野湾市にあるコンベンションセンターの劇場が会場。トロピカルビーチが隣りに広がる所です。本当は、そんなオキナワ会場のぎらつく太陽と青い空と青い海の写真でもと、思っていたのですが、事務局は、いつものようにばたばたで、海なんか、拝んでいないざんす。全然。

Photoザックっと100名ほどのボランティアの手によって運営されていますが、この三日間の中でも、今日がオペレーションでは難所。15:00からスタートのワールドチャリティプレミアでは、アメラジアンスクールインオキナワと日本ユニセフ協会、UNHCRへの全額チャリティーをおこなったのですが、普段劇場に足を運べない方や行く機会が少ない方々(例えば、入院中とか、ハンディキャップがあるとか)をご招待したので、その方々の到着・誘導の対応、さらには、18:00からのゲストてんこ盛りのオープニングセレモニー、さらにつづく特別上映や世界のCM200本の一挙大公開など、今日の一日に様々なことが集中していたのですよ。朝から緊張しながら、作業を詰めるスタッフに感謝、感謝の気持ちです。

Photo市民、学生ボランティアをはじめ、米国の方(かってに外人部隊などと呼んでました)など、ホント手を貸してくれた方に、この場でお礼を言って、ハグしたい気持ちです。

会場に設置された七夕の笹の葉も大成功の願いを引っさげて揺れていました。

明日からが、本番ですが、難所を過ぎた今は、少しホッとしています。

事務局スタッフの合い言葉「贅沢は禁物」も、7月には入ると「ゴールは近い」に変わり、残すところの2日をバクシンしたいところ。

明日は、みんなで、隣りのトロピカルビーチでアメリカンテイストいっぱいのビーチパーリーをしながら、映画祭は進みます。(肉好きの私としてはたまらない環境)今週にはいり、台風4号の発生で開催が危ぶまれましたが、台風もどっかに吹っ飛び、不安も払拭されました。

いつも細かな点でお世話になった東京事務局の西田さんや東野さん、もちろん別所さんにも、存分に楽しんで、満喫してもらいたいな〜と、映画祭とは関係ないことに夢中になってます。

さて、明日もいい天気でありますよに、そして、お客さんが楽しんで行きますように。

鳥越一枝


2001.07.05沖縄実行委員会より

Photo7月5日木曜日 晴れ

ハイタイ!
オキナワ開催まで、あと一日になってしまい、事務局はなんやかんやにおわれています。
申し遅れましたが、オキナワ実行委員会の鳥越といいます。今日から数日間、オキナワの状況をみなさんにお伝えしますので、よろしくお願いします。

6月の末にオキナワ地方は梅雨も明け、毎日30℃を越える暑さ。暑さとともに、準備の方の熱も増し、ホットな状況ですべてが進んでいます。
オキナワ島、那覇市にある小さな事務局は、大学のサークル室のようなムササで、訪れる人たちに懐かしい空気を振りまいています。

Photoさて、明日の前夜祭にぬかりなく・・・と思いつつも、なにか大きなポカがあるのではと言う不安にかられ、それでも、ゴールは近いと奮闘する事務局スタッフの写真を掲載します。私とアシスタントの大田へなちょこ康一、素早い対応でドンドンバンバン事務処理をこなすにっしーこと西野の三人でございます。
オキナワ開催の運営はボランティアスタッフの手によるもので、日曜日ごとに那覇市役所のNPO支援センターにてミーティングを行ってきました。
アメリカン・ショートという映画によって、人と人、さらに人とまちが結ばれていっています。素人の集団ですけど、それぞれの持ち味を存分に発揮して、参加者をお迎えする予定。

今年の開催日が丁度七夕にあったっているのですが、年に一度、織姫と彦星がであうように、ショートショートに出会って欲しいです。全国各地から応援のボランティアも一年ぶりに集まりつつあり、映画祭はまさに七夕の様相をましています。
では、明日、会場でお会いしましょう。

鳥越一枝


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