Project 3

日本各地のストーリー創作

けっぱれ

「けっぱれ」 柿沼雅美

 天井をじっと見つめていると、ミミズのような木目がニョロニョロと動き出しそうな気がして目をきゅっと瞑る。
 布団の中でなかなか寝付けない悠人の隣で、祖母が昔話を続けてくれる。
『__それより久しからずして、この家の主従二十幾人、茸の毒に中りて一日のうちに死に絶え、七歳の女の子一人を残せしが、その女もまた年老いて子なく、近きころ病みて失せたり』
 やだ、と悠人は慌てて祖母の布団へ潜り込んだ。座敷童が出ていくと家の人たちが不幸になるなんて……悠人は幼いながらに不条理と恐怖を感じた。
「あらら、困ったねぇ。でもねぇ、座敷童は決して怖い存在じゃないんだよ」
 祖母が頭を撫でてくれても、座敷童が幸せを持ち去ってしまうイメージが離れず、悠人はさんざんべそをかいたあと泣き疲れて眠りに落ちた。

「え? 結婚?」
 アルコール度数の低いカクテルに口をつけながら、思わず咽せそうになる。
 夜カフェに行きたがる彼女を連れてくる前に様子が見たいという友人に強引に誘われ、断れないままついてきたら、ついでのようにさらりと告げられた。
「ここ雰囲気いいから彼女気に入りそうだ」
「優しいんだな」
「悠人はいつもデートはどうしてんの?」
 んー、とグラスを揺らしながら考える。
「どうかなぁ。夏はやたら暑かったし、冬になったら寒いし、あまりどこに行きたいとかは僕はないっていうか……」
 恵太は、真顔で悠人を数秒見て、間を埋めるように、へぇ、とだけ言った。
「彼女からそろそろ結婚したいとか言われない?」
「うーん。いまのところそういう話はされてないっていうか……」
「悠人はどうなの?」
「んー。僕は……どうだろ」
 どうだろって、と恵太は一瞬呆れたような顔を見せた。
「しばらくは仕事頑張りたいって感じ?」
「うーん。昇進とかにはあまり興味がないんだよね」
「まぁ、そういう考え方もあるよな」
「うーん」
 悠人がそう返すと、恵太は目を逸らしてスマホをタップした。
「でさ、婚約指輪これにしようと思うんだよ」
 差し出されたスマホを覗き込む。
 画面のなかで、ピンクゴールドのリングに大きすぎるくらいのダイヤモンドが煌めいていた。
「すごいね」
「だよな、いいだろ!」
 恵太が嬉しそうに画面をスワイプする。すごい以外に何を言えばいいかわからない。スマホの中で輝く指輪を眺め、なかなか顔を上げない恵太に、なんだか幸せそうだね、と言いかけてやめた。

 ワンルームの部屋に帰宅してうがいをすると、まだ口の中にカクテルの甘さが残っていた。どうせなら限定の夜専用パフェも食べておけばよかった。
 軽くシャワーを浴びてベッドに横たわる。
 スマホを見ると、母親から着信が何回もきていた。めんどくさいなぁと思いながらかけ直す。
 母親はすぐに電話に出たかと思えば、なかなか折り返さないんだから! と大きな声を出した。
「何?」
 通話の音量を下げる。
「何じゃないわよ~。昨日おばあちゃんのところに行ったじゃない? おばあちゃんが悠人に会いたがっててね」
「あー、うん」
「悠人は元気? 一人暮らしは大丈夫? どうしてるの? って聞かれたけどお母さん答
えられないじゃない、あんた普段全然自分の話しないから!」
「あー」
「あー、じゃなくって。ほら、再来週お休みって言ってたでしょう? だから悠人行くって
おばあちゃんに話しといたからね」
「え? いや、言ったかもしれないけど勝手にそんな約束して……」
「もう長いこと顔見せてないのもあんたくらいよ、まったく、こうでもしないとあんた自分
から動かないでしょ? だいたいあんたは昔から……」
「はいはい、わかったわかった、行くから。じゃあね」
 話が面倒なほうに流れる前に電話を切った。
 祖母の家には中学生以来行っていない。決して祖母が嫌なわけではない。学生時代にはお年玉を母親経由でもらうたびにお礼の電話をしていたし、社会人になってからも年賀状のやりとりはしていた。去年の傘寿にはお祝いも贈った。ただ田舎特有の噂話が広まる様子や、親戚付き合いがどうしても苦手だった。東京の自宅と比べて古めかしい家の雰囲気もなんとなく祖母の家を敬遠していた理由だったかもしれない。震災に見舞われた年は母と一緒に様子を見に行こうと本気で思っていた。でも、テレビから流れてくる映像が怖くてどうしても足が向かなかった。落ち込む祖母の顔や憔悴した母の顔を想像しただけでまた怖くなって、東京で何も考えないでいたいと思う時期が続いた。祖母と普通に連絡が取れた頃には、来ても大変だから今はいいわという言葉にまた甘えてしまった。

 再びスマホに目を向けて、紘果に今度岩手に行ってくることにしたとメッセージを送った。
〈遠いし、一応言っておこうと思って〉
〈それ一応じゃなくて当たり前に言うよね?〉
〈一泊だけだよ、おばあちゃんの家に〉
〈私も一緒に行っていい?〉
 悠人は、何の気なしに返事を打ち込む。
〈まぁ、別にいいけど〉
〈まぁ、別にって何?〉
〈どっちでもいいよ〉
〈だからどっちでもって何? むしろ誘おうっていう気はないの?〉
 なんでこんなに突っかかれなきゃならないんだと反論したいのを抑えて、旅館とかに泊まるわけじゃないからゆっくりできないかも、とか、すごい田舎だけどそれでもよければ、とか、もっと計画を立てて旅行するほうがいいかも、とか、色々と言い訳みたいに送ったけれど、紘果からの返信は途絶えた。

 ひとりで東北新幹線に乗り込む。
 意外に岩手県って近いな、と気づくと同時に、ひとりだし夜行バスで安く済ませてもよかったなと少し後悔する。
 夏休みをとうに過ぎた午後の車両は空いているものだと予想していたが、ビジネス客や中高年の女性グループ、子供を連れた家族、さまざまな人が席を埋めていた。地方と都会を行き来するような仕事でもなく、自分が子育てをするイメージもわかない。何十年かして母親ほどの年齢になった時に友達同士で旅行なんてできる気もしなかった。
 スマホをいじったり窓の外を眺めながら過ごし、新幹線から在来線に乗り換え、祖母の家の最寄り駅へ降り立った。
 駅を出ると、河童の像が出迎えてくれた。石が敷き詰められた造りの池に赤茶色の河童が三匹岩に腰掛けていて、談笑しているようにも見える。会社帰りのサラリーマンが居酒屋にいる姿そのものだった。河童はみんなひょろひょろな体つきで、テレビによく出ているお笑い芸人に似ていた。

 悠人くん、と声をかけられ、振り向くと四十歳くらいの女性が駆け寄ってきた。その向こうにはピンクベージュ色の軽自動車。佐々木さんだとわかった。たまに祖母の畑仕事を手伝ってくれたり、用事がある時にかわいい車を出してくれる人――数年前に東京から移住した、おばあちゃんが仲良くしてるご近所さんだからね、と母が言っていた人だ。
 軽く挨拶をして、佐々木さんに促されるまま後部座席に座った。新入社員の時に社内を案内してくれた優しい先輩に似た口調で、祖母は毎日元気でどんな話にもよく笑ってくれるの、と教えてくれた。祖母が幸せそうにしているのが想像できる。
 時折ガタつく道を走り、並ぶ畑の合間に比較的新しい大きな一軒家をいくつか通り過ぎた。
 数分過ぎたあたりで到着した祖母の家は、古い古い木造の平屋で、久しぶりに訪れると広い敷地に寂しさを感じた。ここで、祖母がひとりで畑仕事をしているのを思うとなんだか不安にもなってくる。
 次の用事があるという佐々木さんにお礼を言い、車を降りて、ところどころ短い雑草が生えている地面に足をつける。見上げた瓦屋根は臙脂色で一部が補修されていて、木造の家の外観は記憶よりもずっと茶色が濃くなっていた。
 ガラリと音を立てて引き戸の玄関を開けると、コンクリートの土間があらわれ、雨上がりの大木を嗅がされたような匂いが漂ってくる。
 わぁ、と祖母が驚くような声をあげて、よく来たねぇよく来たねぇと腕や腰や背中を優しくさすったりぽんぽんとしてくれる。大きくなったねぇ東京でひとりは大変でしょう、と手を引いて中に案内してくれた。
 洗面所で手を洗おうと、お湯が出るはずの赤い丸のついた蛇口をひねったけれどなかなか温かくならず、仕方なく水のまま石鹸をすすいだ。
 半分扉の開いた浴室を覗くと、水流の調節機能もない黄ばんだ白いシャワーヘッド、水色と白と黒のタイルがまだらに敷き詰められた床、何十年も変わらない名前のリンスインシャンプーの匂いがかすかに漂っている。
 居間の椅子に座り、おぼんに載せられた小袋のお菓子に手を伸ばす。そばには手のひらサイズの花が花瓶に飾られていて、ずっと昔から使っていた南部鉄器の急須が置いてある。子供の頃に見ていたのと同じ景色だった。
「せっかくのお休みなのに、お母さんに言われてわざわざ来たんでしょう? ごめんねぇ忙しいのに」
 祖母が丸みを帯びた腰で椅子に座る。
「あ、うん、なかなか忙しくて……ごめんね。元気そうでよかった」
「元気よ元気。さぁ、そろそろ夕ご飯の準備をしないとねぇ、お腹空いてるでしょう?」
 なんでずっと来なかったのか聞かれるだろうなと予想していたのに、祖母は優しくそれだけ言ってゆっくりと台所へ向かった。
「顔見せに来ただけだし、ごはんは適当でいいよ」
「なぁに言ってるの。せっかく来たんだから遠慮せずいっぱい食べていきなさい」
 祖母は腰だけのエプロンをゆっくりと巻いた。
 台所の床には、クリーム色の小花がうっすらと描かれていて懐かしい。裸足だったら少しペトペトして感じるやつだと思い出す。旧型のガスコンロ、出しっぱなしの醤油のボトル、壁に三つも掛けられているカレンダー、すりガラスの戸の食器棚、重ねられたアルミの鍋……中学生の時に最後に訪れた日から時間が止まっているようだった。
 悠人は手持ち無沙汰で、台所に立つ祖母を目で追う。
「そんなに見られたらやりにくいねぇ」
 そう言いながらも嬉しそうだ。悠人は手伝うと言いたかったが、できることがないような気がしてそのまま祖母を遠目に見ていた。
 祖母の背中越しにちらちらと見えるネギは東京のものよりも長く、椎茸も立派そうだ。
 火にかけたアルミ鍋に、野菜がゴロゴロと入れられていく音がする。
 玄関から、「おじゃまします~」と声が聞こえた。祖母が夕飯に佐々木さんを誘っていたらしい。
「おばあちゃん、これ持ってきたよ」
 佐々木さんがラップのかかったお皿を差し出した。
「あらぁ、豆腐田楽、いいねぇ」
「悠人くんはきっと食べたことないでしょ」
 どうも、とお礼をして見てみると、焼き色のついた豆腐に味噌が塗られているようだった。
「ほんとは串にさして囲炉裏で焼くんだけどね、フライパンでもできるから」
「へぇ、いいですね」
 ラップを外すとにんにくのいい香りがした。佐々木さんは元気いっぱいといった様子で居間のテーブルの真ん中に皿を置いて、台所から祖母の料理をテーブルに運びだした。
「わー、ひっつみ汁だ~」
 祖母がさっき作っていた汁ものはひっつみ汁というのか、と、悠人は座っておかずが並ぶのを待つ。手伝おうか、と最後まで言えないまま祖母に目をやると、にこにことして、麦茶がいいかね、とコップを取り出した。
 テーブルには、白米、ひっつみ汁、魚の煮付け、豆腐田楽、青菜のくるみ和えが並べられた。
 佐々木さんと祖母と同じタイミングで悠人も手を合わせて、いただきます、と言った。
 ひっつみ汁はまろやかな出汁の味が喉をさらりと通り、ゆるやかに内臓が温められていく気がした。
 祖母に、これなに? と汁の中の餅みたいなものを箸に挟んで聞いてみる。祖母は、薄力粉と塩とお湯で練ったひっつみっていうもので、手で千切って煮ると味が染みて美味しくできるのよ、と教えてくれた。
 佐々木さんの豆腐田楽を齧ると、やはりにんにくの風味が強く、悠人好みだった。昨日の残り物だけどねと祖母が言った魚の煮付けは濃いめに味が染みていて箸が止まらず、悠人は白米をかきこんだ。
 和え物にはくるみがすごく合うでしょう、おばあちゃんに教わったの、と佐々木さんが話しはじめる。せっかくの再会にお邪魔してごめんね、と詫びながら、祖母といると楽しくてよく遊びに来ちゃうの、と屈託なく笑う。
 祖母のもとには、地域の人がいつもお裾分けを持ってきたり、何かと様子を見に来たりと、自然と人が集まり賑やかなようだった。
 悠人くんはピンと来ないかもしれないけれど、と佐々木さんが前置きをして、おばあちゃんの家は古いのにずっと綺麗でしょう? 庭の畑も野菜がたくさんなるからあとで見てみて、珍しい色のカブも採れたのよ、と早口になる。へぇ、とか、ほー、と悠人が返事をするたびに祖母が微笑んでいる。
 庭、と聞いて、ふと昔よく一緒に遊んだ女の子との思い出が頭をよぎった。

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プロジェクト参加作家

  • 岩手県 柿沼雅美

    柿沼雅美(かきぬま・まさみ)

    1985年、東京都生まれ神奈川県育ち。
    清泉女子大学文学部日本語日本文学科卒業。大学職員勤務を経て作詞家に。
    JUJU、Snow Man、ジャニーズJr、ミュージカル刀剣乱舞、テニスの王子様Rising Beat、ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会、MORISAKI WIN、亜咲花、三澤紗千香、上月せれな、等の楽曲へ作詞で参加。

    「けっぱれ」

    久しぶりに岩手県で暮らす祖母のもとを訪れることになった悠人。到着したその日の夜、一人の少女と出会ったことで、懐かしい気持ちとともにある不安が湧いてくる。その不安は、祖母と別れるまで悠人を悩ませ続けるが……

  • 静岡県 乘金顕斗

    乘金顕斗(のりかね・けんと)

    小説家。1992年生まれ。兵庫県在住。2017年、公募から「たべるのがおそいvol.3(書肆侃侃房)」に『虫歯になった女』が掲載。2019年に短編集「対岸にいる男」(惑星と口笛ブックス)。2020年、「kaze no tanbun 移動図書館の子供たち(柏書房)」に掌編『ケンちゃん』。2021年、第7回ブックショートアワード大賞受賞。

    「海の見える街で私たち」

    環奈と美弥は、子供の頃から一緒に熱海の街を走って過ごしてきた。お互いを大切に思い合う二人はしかし、貫一お宮之像の前でそのポーズを真似して撮った写真をSNSに投稿したことで、大きくすれ違いはじめる。

  • 福岡県 菅原敏

    菅原敏(すがわら・びん)

    詩人。 2011年、アメリカの出版社PRE/POSTより詩集『裸でベランダ/ウサギと女たち』をリリース。 以降、執筆活動を軸にラジオでの朗読や歌詞提供、欧米やロシアでの海外公演など幅広く詩を表現。近著に『かのひと 超訳世界恋愛詩集』(東京新聞)、燃やすとレモンの香る詩集『果実は空に投げ たくさんの星をつくること』(mitosaya)、『季節を脱いで ふたりは潜る』(雷鳥社)。 東京藝術大学 非常勤講師
    http://sugawarabin.com/

    「琥珀色の瓶」

    幼い頃、両親と過ごした福岡市郊外に家を買った「私」は、亡くなった母が大切に育てていた梅の枝を携えて引っ越しをする。福岡、京都と行き来する梅の木とそれに重なる家族の思い出、そしてこれからの「私」の暮らし。