[書き起こしレポート]
トークセミナー・濱口竜介監督が描き出す「生きた」映画の住人

[書き起こしレポート]
トークセミナー・濱口竜介監督が描き出す「生きた」映画の住人

2019年10月19日土曜日、東京・恵比寿の東京都写真美術館にて「トークセミナー 濱口竜介監督が描き出す「生きた」映画の住人」が開催されました。東京都が共催する「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2019 秋の映画祭」の一環として、若手クリエイターの育成を目的に行われた本セミナー。カンヌ国際映画祭にノミネートされた『寝ても覚めても』の濱口竜介監督が、独創的な映画制作論を語りました。この模様を書き起こしレポートとしてお届けします。

「こっちの方がずっと人生だな」濱口竜介監督の映画遍歴

-はじめに、濱口監督が映画に向き合い始めた当時のお話をお伺いします。映画監督を志すようになったのはいつ頃なのでしょうか?

濱口:
映画は小学校のころに『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を観たころから好きだったんですけれど、作るようになったのは大学に入ってからですかね。
高校時代にミニシアターのブームがあったんですよね。レンタルビデオ屋も非常に盛んで、「自分は映画好きなんじゃないか」と思っていたので映画研究会に入ってみるかと。
そこは映画を作るサークルでもあったので、映画を作り始めたら「これ、おもしろいじゃないか」と。

-監督できるんじゃないかと(笑)

濱口:
他のことができないというか。文章を書いたり漫画を描いたりはできないなかで、表現をしたい欲求だけあったんですけれど、どうしたらいいか分からない中で、カメラをある人に向けて、その人になにか言ってもらって、それをつなぐと作品めいたものができる、ということが自分にとって革命的だったという気がします。

-初めて作品を作ったのはいつ頃だったんですか?

濱口:
大学1年生の時ですかね。新入生歓迎会のようなものが過ぎたくらいで秋になっていて、そのサークルではその時期に1年生が撮らなきゃいけないってことで、当時流行っていたコーエン兄弟の『ビッグ・リボウスキ』の影響を受けて、ボウリングで女の子を取り合う男たちの短編を作りましたね(笑)

-影響を受けた監督はコーエン兄弟のほかにいますか?

濱口
映画研究会は映画を作るサークルである以上に、観るサークルという側面が強くて。映画好きのつもりだったのにあれもこれも観ていないじゃないかという気持ちになって、大学1~2年くらいの頃に映画館に通い詰めていたらジョン・カサヴェテスという人の「カサヴェテス2000」という特集があったんですけれど、『ハズバンズ』っていう映画と『ミニー&モスコウィッツ』と『愛の奇跡』っていう三本の映画がやっていたんですね。カサヴェテスの特に『ハズバンズ』なんですけれど、それにとても衝撃を受けて、「映画っていうのは自分の想像した以上にすごいものかもしれない」とだんだん身に染みてくる体験だった気がします。

-衝撃というと?

濱口:
当時20歳くらいだったんですけれど、出てくるのは40代のおっさん3人、しかもアメリカ人。1960年代の話。国も時代も違うのですが、「これが人生か」って映画を観て感じたんですよね。「自分が20年生きてきたことよりも、こっちの方がずっと人生だな」って思う瞬間があって。それまで自分がしたどんな経験よりも濃密だったっていう感覚がきっとどこかにあったんだと思います。

ドキュメンタリー経験をフィクションに応用。演技ワークショップから生まれた『ハッピーアワー』とは?

-続いてのテーマに行きたいと思います。監督は短中編から『ハッピーアワー』(2015)のような5時間半の超長編映画も手掛けていますが、映画製作と時間についてお話を伺います。『ハッピーアワー』はもともと5時間超で作る予定だったんですか?

濱口:
いや、これはもう驚かれるかもしれませんが「ちょっと長いけど2時間半くらいで」と思って作り始め、結局2年くらいの制作期間があって、その間に脚本を書きなおしては膨れ上がり、5時間の映画になったという感じです。

-『ハッピーアワー』は演技のワークショップで制作された映画でしたよね?

濱口
そうですね。震災後に東北でドキュメンタリーを撮っていたんですけれど、その経験を活かしてフィクションを撮りたいなあと思っていたんです。そのタイミングで週に1回、土曜日に「即興演技ワークショップ」という長期のワークショップをやる機会を得たので、演技経験問わずに参加者を募集して、ワークショップを半年くらいやって、その人たちと付き合う中で脚本を書いて、そのあと8か月くらいの撮影期間があって。それもみなさん平日は仕事がある方が集まっていたので週末に撮っていたんです。

-まず自分がやりたい企画があったのか、それとも演者を見て企画を考えていったのでしょうか?

濱口:
ワークショップの参加者を見てっていう側面も強かったと思います。ワークショップが始まる前に脚本を用意していった方がいいのかなとも思っていたんですけれど、結局書けなくて、17人の参加者全員が『ハッピーアワー』に出てるんですけれど、その人たちを見ながら書くっていうことに移行していった感じですね。
ついでに言うと、さっき話に出た『ハズバンズ』っていう映画が『ハッピーアワー』では下敷きになっています。『ハズバンズ』では仲良しな男たちが4人いて、その一人が冒頭で亡くなってしまうと。彼のお葬式のあとで3人が家に帰りたくないと。自分たちは悲しい身を全面的に表現したいということで、ある種魂のさまよいみたいなサインが繰り広げられるっていうのが『ハズバンズ』なんです。それを性別反転させたバージョンっていうのがそもそもの発想の源だったんですが、それが最初2時間半くらいのもので、だんだん前にも後ろにも伸びて行って5時間半くらいになったということですね。

-実際にワークショップに参加された方を見ながら、この人だったらこういう演技をとか、これまでどういうお仕事されてきたのかとか、どういった悩みを抱えているのか、ということを脚本に生かしたということでしょうか?

濱口:
演技経験がない方が三分の二以上だったので、その人の持っているものを、いったいどうやって物語に生かしていくのか常に考えていました。

-本日はこの後に『天国はまだ遠い』(2016)を上映します。長編にできそうな題材だと思ったんですが、なぜ30分強の中編に収めたのでしょうか?

濱口:
『ハッピーアワー』では資金が尽きてクラウドファンディングをしたんですよね。クラウドファンディングの特典で、「短編映画をプレゼントします」みたいなことを謳っていて、その短編を役者さんと話し合いをしながら作っていったんですが、結果的に出来たのが30分超ということです。

-『ハッピーアワー』にしても『天国はまだ遠い』にしても劇場公開を想定すると両極端な時間といいますか。劇場公開を意識すると、1時間半や2時間くらいの尺をおさめようとする中で、濱口監督の枠に収まらないスタイルが気になりました。

濱口:
これはですね、それを許してくれたプロデューサーが偉いという話になると思います。今ある素材で。この5時間17分のこのバージョンが一番面白いっていうことをプロデューサーが納得してくれたことで世に出せたっていうことですね。


『天国はまだ遠い』

 

(『明日のキス』『天国はまだ遠い』上映)

 

非常に気持ちのいいものだな、短編とは

-『明日のキス』なんですけれど、これは監督自身に明日までキスお預けエピソード的なものがあったんですか?(笑)

濱口
そんなものはないです(笑)。これは2011年に東日本大震災があって比較的すぐに、仙台短編映画祭の菅原さんという方が40人くらいの監督に声をかけて、3分11秒で「明日」をテーマに映画を作ってほしいと。それで3分11秒の映画を集めて『311明日』という映画として上映をするという依頼があり、当時僕自身がドキュメンタリーを作るために仙台に滞在していたんですが、そのとき仙台の友人たちとともに作ったものです。

-これが濱口さんのなかで一番短い作品になりますよね?短編を作ってみていかがでしたか?

濱口:
気持ちよかったですね。こんな感想が許されるのかどうかわからないですけれど、「非常に気持ちのいいものだな短編とは」と思った記憶があります。
尺にぴったりはまったっていうこともあるのかもしれませんけれど、なんというのかな、これ以上語る必要もないし、過不足のないものを語りきったという感触が僕個人としてはあったんですよ。不足を感じる人もいるかもしれませんが、これ以上のことはいらないし、カッティングも1から10まで自分としては納得している数少ないものだということです。

役と役者の行動原理。調整する演出術とは?

-濱口監督の作品は、毎回キャラクターの作り方が気になるところです。リアリティを感じさせるキャラクターをつくる上で、クランクイン前に取り組んでいることってあるんでしょうか?役者さんとの話し合いだったりとか。

濱口:
そうですね、準備の時間というのはできるだけ長くとるように心がけています。役者さんとのコミュニケーションを密にして、できればそれを脚本に反映させていきたいと。そういう準備の時間というのが絶対に必要である、少なくともそうじゃないと僕は撮りづらい。

-その撮りづらさというのは?

濱口:
書いたセリフがありますよね。役者さんというのは書かれたセリフを言う人たちだと世の中なっているんですが、どんな人でも言えることと言えないことってあるわけですよ。普段言うことと言わないことって夏井さん(聞き手)にも僕にもあると思うんですけれど。それを言わせたときには、ある種のズレというか何か不具合が起きる感じがあるんです。その不具合を埋めるためには、ある程度役者さんのからだに限定された形でセリフを変えていく必要があると僕は思っています。
一方でそれだけだと決して面白くならないというか、その役者さん自身から出ていけなくなるので、フィクションとしてその人の別の側面を開いていくようなセリフの書き方、物語の運び方ができるようフィードバックを繰り返している感じです。

-海外の映画監督の方ではメソッド(俳優の演技方)を熟知しながら演出をすることがあるそうですが、濱口監督の演出の仕方はどういう感じなんですか?

濱口:
「本読み」っていうのをずっとやっています。当たり前ですけど、キャラクターは基本的には役者さんとは別の人格なんですよね。その人物が言うセリフをテキストとして一旦取り込んでもらう作業というか、ひたすら無感情なまま「本読み」を繰り返して、それがその人のからだに入ったなと思うと声が変わってくるところがあって、声が変わってきたら現場に入ろうかっていう段取りを踏むようにしています。

-東出昌大さん、唐田えりかさん主演の映画『寝ても覚めても』(2018)の時も、そういう時間は重ねたんですか?

濱口:
そうですね、みなさんお忙しい方たちだったんですけれど、とても理解をいただいて。その時間はある程度いただけたと思っています。

-『寝ても覚めても』も『明日のキス』も震災が背景にありますが、濱口監督の作品を観ているとキャラクターが想像しえない未来にぶち当たるフィクションの織りなし方も、キャラクターをつくる上でのポイントみたいな感じなのでしょうか?

濱口:
ケースバイケースっていうところはあるんです。まずは、キャラクターの行動原理を脚本を書いているときに掴まなければならない。この人はこれをするけれどこれはしないっていう一貫性みたいなものを一人一人把握するのが望ましい。先程の話だとそれを役者本人の行動原理のようなものとどこか合わせる必要もまたあると。
それをあらゆるキャラクターに対して行っていく必要がある。行動原理が把握できると、ある種キャラクター同士が、将棋とかチェスのような感じでお互いに手を打っていくような形でダイアローグを書くことができる。ただ、キャラクターの行動原理は変わらないものではなくて、それなりに可変的なものなんですよね。
キャラクター同士が今まで通りの行動原理を持って行動するだけでは千日手みたいになるので、今までの行動原理では対応できないような事態に出会う必要が、特にメインのキャラクターにはある気がしていて、そういう時に外側から起きる事態を導入するんだと思います。

やりたくないっていう自分の気持ちと闘っている

-濱口監督の作品で、仲が良かったり大切に想い合っている関係の人物が、結局は分かりあえないというシーンが多いかなと思うんですけれど、監督にとって他者と共存することはどういったことだと思いますか?

濱口:
難しいことですよね。他者ってなんだっていう話ですけれど、他者っていうものを仮にコミュニケーション不可能な存在だと設定するのなら、それと共存するのは限りなく難しいですよね。距離をとるか、もしくは戦うかしかないよっていう気がするんです。
けれど、距離をとったり、あるいは接近しすぎて戦ったりっていうことを繰り返しているときになにか、ほんの一瞬でも、程よいバランスというものが達成される瞬間はあるような気がしますね。これは他者との共存といえる瞬間なのかもしれないとは思うんですけれど、長くは続かない。でも、ないとも思ってはないです。

-一般的な映画製作の質問も聞いていきたいなと思うんですけれど、制作の中でいつもぶつかる壁みたいなものはありますか?

濱口:
いつもぶつかる壁って言ったら、「やりたくない」っていう自分の気持ちですね。
映画を作り始めたらストレスフルなできごとが本当にたくさん起きてくるんです。ただ映画を作りたい気持ちはそれでも消えないので、映画をつくるんですけれど、始めたらまたあれが始まるのかって思いながら、腰を上げる瞬間のある種の気の重さっていうんですか。それはいつもぶつかる壁と言えばぶつかる壁のような気がします。

-監督の著書の中で、映画を作るときには予算が限られているなかで作り上げることを考えなければならないと書かれていましたが、予算も時間も潤沢にあるとしたら、どういった映画を作りたいですか?

濱口:
これも難しいですね。そういったことを考えることもあるんですが、そんなに予算がいると思っているわけではないことに尽きるというか。できれば、予算というものがあったらそれがスタッフ・キャストにちゃんといきわたるといいなということですかね。
正直『天国はまだ遠い』みたいな会話劇っていうのは僕は結構好きなんです。あれを作るのは妥協ではなくて、お金がないっていうことで選択肢が限られてくることがむしろありがたくて、僕はああいう映画を撮ることは全然いやじゃない。むしろもっとつくりたいと思っています。

会場とのQ&A

Q海外で上映されるならどこで上映してほしいですか?どこの国の人に見てほしいですか?

濱口:
『寝ても覚めても』っていう映画は海外で何十か国かで上映されたりもして、海外でも自分の作品を観てくれる人がいるんだなあというのはうれしいこととして思っています。どこだったら?行ったことがないところがいいですね。一度行ってみたいのはアルゼンチンです。ブエノスアイレスとかでかけてほしいなと思います。友達のアルゼンチンの監督がいるんですけれど、彼とそこで会ってみたいなと思います。

Qもし監督にNetflixとかから50分で10話とかシーズン1とかで作ってくださいという依頼があったら、どんな作品を作っていただけますでしょうか。

濱口:
それはもちろん興味があります。連続ドラマも好きで見ていましたから興味はありますが、どういうものをつくるか。撮りたいなと思っているものの中で、そういう枠組みだったら青春映画みたいなものですかね。ティーンネイジャーの心の動きを長い時間かけて撮ってみたいというものはあります。

Q:脚本を執筆している間は映画を観たり本を読んだりされますか?逆にまったくしないで脚本に集中するのかほかの映画作品を参考にしたりするのでしょうか?

濱口:
長期的には観たり読んだりします。脚本は短期間では書けないので、書けない時期を何度も波のように繰り返したりします。だから書けないときは観たり読んだりするフェーズがあります。ただ最後の、たいてい締め切り前なんですけれど、短期集中期間みたいなものに入ったときは基本的には観ないですね。物語の世界で生きているというか。僕も物語の中の一人としているようなところがあります。

Q: 『寝ても覚めても』の原作小説は主人公の一人称で描かれていますが、映画では三人称になっていて、物語上の視点がことなりますが、今後一人称で描かれる映画をつくられる予定はありますか?

濱口:
カメラを用いてる作る映画において、モノローグを入れようが何しようが、そもそも絶対に三人称でしか物語れないんではないか。ということを一旦置くと、一人の人物を見つめていくような描き方にはとても興味があります。小説は一人称の方が書きやすいのかもしれないと思います。「僕」とか「私」とかを使うことで、作者自身の体験を直接的に反映しやすい、書きやすいのかなと思うんです。三人称の語りっていうのは書き手としてステージが上がらないとできないのかなと思います。
逆に映画で、一人称で物語るには、それはそれで作り手として違うレベルに達さないとできないのかなと思います。そしてそういうものを作りたいなとは、いま思っています。

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-最後に、先ほど短編映画を作っているときの面白さをお聞きしたんですけれど、長編映画と違う魅力や、映像作家を志す方に向けてのメッセージをお伺いします。

濱口:
ショートフィルムの映画祭だからというわけではなくって、最近ショートフィルムというものがとても大切だと感じています。『天国はまだ遠い』という作品は『ハッピーアワー』のあとに撮ったんですけれど、自分のやってきたこと、これからやりたいことの確認にもなったし、好きにやりたいことをやれるような映画でもあって、それをリスクの少ない形でできる短編というフォーマットはものすごく大事なものだなと感じています。今後も折に触れて短編を作っていこうと思っています。
短編は作る人にとって始めやすいものだと感じます。短編映画を作ることは、作り始めるためのリスクを抑えるという点からも、そして何本も作るっていう点からもとても良い形式だと思います。そして自分に十分力がついたなと思った時に長編に挑戦してみるっていうのはとても真っ当なあり方なんじゃないかなという気はしています。

(聞き手:夏井祐矢)
(構成:大竹悠介)
(撮影:吉田耕一郎)

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【濱口監督プロフィール】
濱口 竜介

濱口 竜介(はまぐち・りゅうすけ)

1978 年、神奈川県生まれ。2008 年、東京藝術大学大学院映像研究科修了制作『PASSION』が国内外の映画祭に出品され高い評価を得る。その後も、震災後の東北を写したドキュメンタリー映画『なみのおと』(2011)や『なみのこえ』『うたうひと』(2013)(共同監督:酒井耕)、神戸を舞台にした5 時間を超える長編ドラマ『ハッピーアワー』(2015)など、地域やジャンルをまたいだ精力的な制作活動を続けている。2018 年、カンヌ国際映画祭コンペティション部門にも出品された最新作『寝ても覚めても』は世界各国、30以上の地域で劇場公開された。2019年からはニューヨーク、パリ、ソウル、トロント等、世界中の主要都市で特集上映も開催されている。