Project 2

日本各地のストーリー創作

「おばあさんの皮」大前粟生

 美人とかいわれるのが嫌だった。そんなことをいってくる人はみんな、私の内面なんかどうでもいいみたいに見えてくる。私のことを本当には見ていない人ばかりだった。私はただ顔が整った人形みたいにしか見られていないし、人形みたいにしか扱われていない、そんな風に思ってしまう。
 嫌だということを一度友だちにいってみたことがある。そしたら「え、なに、自慢?」といわれた。けっこう、ショックだった。高校生のときのことだった。それ以来、私は私の悩みなんてだれにもいわなかった。いえなかった。
 だから、おばあさんにならないかといわれたときはうれしかった。

「うわすごいね」
 どこか冷たげに優里がそういったとき、私たちは立ち寄った展望台から只見川を見下ろしていた。山の木々に雪が降り積もって一面真っ白な景色。山間にかかる第一只見川橋梁の上を電車が渡っていく。静かな展望台の上でシャッターの音がいくつも聞こえてきた。ここから見える美しい山と川、そして電車を写真に収めようとこの町を訪れる人も多い。ときには山間に霧が立ち込めて、風景はより幻想的になるのだった。
 景色に見惚れながらも、私は優里のそっけない口調を気にしていた。私は、生まれ育った三島町を出ていくところだった。転勤で、東京にいく。福島駅までの道のりを優里が車で送ってくれているところだった。
 優里と私はずっと三島町でいっしょに過ごしてきた。福島県の西部、只見川沿いにある町。私はここで生まれたけれど、優里は小学生のときに静岡から引っ越してきて、福島の言葉が喋れなくて疎外感を感じていたらしい。優里にとって私がはじめてできた友だちだった。町にいる同い年の子どもは両手の指で数えられるくらいで、優里とは三島町の年中行事によくいっしょに参加した。パッと目を閉じただけでも、優里と過ごした景色が次々と思い浮かぶ。
 十一月の新そば祭りでそばをたべすぎてお腹を壊して、毎年こうだね、とひとりでウケて笑っている優里。無病息災や安全を祈願するサイノカミと呼ばれる一月の火祭りで、燃え上がる火に興奮して大人になってもぴょんぴょん飛び跳ねてしまう優里。春の「カタクリさくらまつり」で、地面に咲き誇るカタクリと空を覆うさくらの、それぞれ雰囲気のちがう、でも圧倒されるような花の色が、木漏れ日と反射する光に導かれて優里の頬にきらきら貼り付いていたあの時間。東京にいってしまったら、それもしばらくは見ることができない。優里は町の役場で働いている。私が東京へいってしまうのがさびしいのだ、とこの前、優里の口からはっきり聞いた。私もさびしい。でも、仕事だから仕方ない。それに、東京で暮らしてみたいという気持ちがないとはいえなかった。
 福島駅までの車中、ふだんとちがって、私たちにはほとんど会話がなかった。福島と東京の距離だ。新幹線でたった二時間の距離。すぐに帰ってこられる。なにも一生離れ離れになるわけじゃない。それでも、お互いの住む場所がちがってしまうのは悲しい。いま、ふたりでいるこの時間を大事にしたい。気まずい空気をなんとかしたくて、温泉にでもいく? と私から提案したのだった。
「うん」
 とだけ優里は返事をしてハンドルを切った。

 土湯温泉は吾妻連峰に囲まれた温泉街だ。2011年の震災だけでなく、街なかを流れる荒川の氾濫や、古くは大火事などいくつもの災害に襲われ、けれどその度に復興を掲げ、たくましく立ち直ってきた。名産品のこけしをモチーフにした看板や、荒川大橋の傍で客を迎え入れる巨大なこけしの顔が、どこか凛として見えた。
「うわ〜〜〜〜。んんん〜〜」
 お湯に入ると優里は気持ちよさそうな呻き声を上げた。運転で疲れた手足を思い切り伸ばしている。思わず私も「うう〜〜〜」と呻き声を漏らすと、優里も「ん〜〜」と声を重ねてきて、ふたりで心地よさに延々と呻き続けた。うれしかった。お互い、自然と笑顔になっていた。
「電話できるし」
 優里がいった。
「メッセージを送り合えるし、ビデオ通話もできるし。うん。別に、離れてても離れてるわけじゃないじゃん」
「なにそれ」
 私は笑った。
 荷物は先に東京の部屋に送ってある。両親も、いつかは三島町に戻ってきてほしいといっていたが、私が二十代半ばになっても実家を出たことがなかったのを密かに気にしていた。心残りは優里のことだけだったけど、それも大丈夫そうだ。この感じだと、私たちは笑顔で別れることができる。そう思っていた。
 今日はまだ時間がある。せっかくなので、温泉をハシゴすることにした。お湯に入る度に私たちはリラックスして、お互いに若返って、いろいろな自由が利いた学生時代に戻ったかのように楽しくなってきた。お湯のなかで最高の時間にまどろんでいると、ふと、こっちをじっと見つめている優里の視線に気がついた。
「なに?」
「ほんと、京子は美人だよね。いいなあ。東京でもモテるよきっと」
 優里の言葉に嫌悪感が湧いて、体が冷たくなった。
 優里が善意でそういったことくらい、わかってる。でも優里は、高校のときに私が、そういうことをいわれるのが嫌だといったことを忘れているみたいにいうのだった。またここで嫌だといって、せっかく元に戻った雰囲気を壊してしまったら、と思うと私はなにもいえなかった。のぼせたふりをして先にお湯を出た。
 私は、どうしてさっき嫌悪感が湧いたのかを考えながら、雪景色の温泉街を歩き回った。
「美人」や「モテる」なんていう言葉を向けられると、相手が優里であっても、私は、消費されているというか、世の中で求められているものに無理やり当て嵌められて、私が私であることを無視されている気がしてくるのだった。
 恋愛や性の対象としか見られていないような気がして、学生時代の一時期、私は声をかけてくる男性のことがこわかった。いまでも、エレベーターや夜道で知らない男性とふたりきりになったりすると、身構えてしまう。
 前方を見ると、大量の顔があった。こけしだ。お土産屋さんにこけしがずらっと並んでいて、みんなこっちを見ている。土湯こけしはそのシンプルさが特徴だった。過度な装飾はなく、細長い体には、ろくろ線と呼ばれる平行の線が入っている。実家では玄関や畳の間にいくつかこけしが飾られていた。幼い頃は、こけしのことがこわかった。その微笑んでいる目が、見ているものを見透かしているようで。なにか悪いことをしたら、夜中にこけしがやってきて恐ろしい罰を下されるんだと思い込んでいた。でもいまは、その目が少し頼もしい。私の外見なんてどうでもいいみたいだと思えた。いちばん最初に目が合ったこけしを買った。
 優里は長いこと温泉に浸かっているらしかった。メッセージを送っても返ってこない。こけしを鞄に入れて歩くのを続けた。
 何十段か続く階段があって、上ると聖徳太子堂があった。そこに立っていた看板によると、1400年ほど前、仏教の普及のために聖徳太子が自分の御本尊を持たせた使者を各地に遣わせた。その使者のひとりが病気になったとき、夢枕に御本尊が立って「信夫郡土湯という所に温泉あり、ここにて湯治せよ。病癒ゆべし」と告げたそうだ。使者はこの地に温泉を掘って入浴し、病を治したあとは、再び夢枕でのお告げに従ってここに御尊像を祀る堂を建てたらしい。ふぅーん、と思った。スマートフォンで検索をすると、聖徳太子堂自体は全国各地にあるようだ。ただ土湯温泉の堂には他のところとちがって、木で作られた、16歳のときの聖徳太子の像が祀られていた。
 太子堂の敷地内には薬師こけし堂があった。数年前までは、こけしを供養するお祭りが開かれていた。持ち主が亡くなったり、引き取り手がいなくなったこけしがここに集まってきた。きっとこけしが人の顔をしているから、捨てるに捨てられないのだろう。
 私は子どもの頃、ここにきたことがあった。亡くなった祖母がとても大事にしていたこけしを父といっしょに納めにきた。亡くなる間際、祖母はよくこけしのことを私の名前で呼んでいた。美人だ、美人だ、と祖母はいった。おまえは美人だから、とっつかまえらっちぇ、ひでぇ目にあわさっちまぁがら……。病院にお見舞いにいったとき、祖母は記憶があっちこっちに飛んでいるような話ぶりだったけれど、きっと、私のことを心配してくれていたのだと思う。少し感傷的な気持ちでこけし堂を出ると、お詣りのための鈴の前に、ひとりのおばあさんがいた。
 おばあさんは腰を曲げて、そのまま少しも動かない。見ていて不思議に思うほどだった。
「あの、大丈夫ですか?」
 私は聞いた。心配になったからだ。冬でも熱中症だったり、脱水症状が起きたりすることはある。
 おばあさんは何もいわず、こっちを見た。微笑みながら姿勢を正していって、こけしみたいにまっすぐ立った。うっすら笑ってるような、すべて見通しているような目で私を見つめた。彼女はこういった。おばあさんにならないか、と。

 資料室の扉を開けると埃のにおいがした。空気がこもっていて、何十分かエアコンの送風機能で換気する必要があった。図書館の開架のように天井まで続く棚がいくつも並んでいて、そのなかに隙間がないほどファイルが並んでいたが、いくつか開けてみるだけでうんざりした。上司に半笑いの顔でいわれた通り、ほんとにここの資料は年月さえバラバラに適当に棚に突っ込まれていた。あはは〜、と私も笑い返した。なんでバラバラのまま放置しているわけ、と苛つきながら。
 異動先は東京本社にしかない社内報課だった。来年の創立50周年に向けて、記念冊子を作ることになった。本当は、本社の先輩たち何人かと作る予定だったが、先輩のひとりが先週、ギックリ腰になって入院してしまった。そのために先輩のロッカーを別の先輩たちが整理していたところ、ギックリ腰になった先輩にどうやら、横領疑惑が発生したらしい。社長命令で社内報課の先輩たちは極秘で調査を進めることになった、という噂を、福島にいたときからいっしょに仕事をしたことのある本社勤務の藤崎さんに聞いた。藤崎さんは私と同い年で、よく笑い、噂話などをしたりはするけれどどこかさっぱりとした人で、いっしょにいても、あまり身構えずに済んだ。
 藤崎さんは、私を和ませようとしてその話をしたのだった。話を聞いたのは、ひとまず資料室の簡単な掃除をして、整理しやすいようにファイルをより分け、お昼をたべたあとに行ったインタビューのなかの流れでだった。
 私は多忙にしている課の人間の代わりに、毎月刊行している社内報の作業もすることになってしまい、「今月のおのぼりさん」というコーナーで、地方出身の社員にインタビューをしていくはめになったのだ。その最初の取材相手が藤崎さんだった。
「なんだこのコーナーって思いますよね」
「おのぼりって言い方、ちょっとイラッとします」
「そういえば、なんで社内報課がみんないま忙しそうにしてるか知ってます?」
 どうしてですか? と聞くと、藤崎さんはギックリ腰になった先輩の話をはじめた。
 少し雑談をしたあと、インタビューでは、故郷のよいところ、東京のよいところ、働きはじめてどうだったか、所属部署の雰囲気はどうですか、いまこの年齢として会社に思うこと、この先10年をどういった年にしていきたいか、などなど、事前に用意されていた質問リストに沿って質問をした。
 取材が終わると、私は再び資料室に戻った。文字起こしまで私が担当することになったら面倒臭いな、と若干の不安を感じつつ、でも、地下にこもって、だれからも距離を取って単純作業をするのはずいぶんと落ち着いた。インタビューは空き会議室で収録したのだが、藤崎さんを呼びに彼の所属する営業部に顔を出したとき、この前の合コンはどうだったとか、社内のあの子の顔は何点で、俺はぜんぜんアリだとかいう男の人たちの話が聞こえてきて、それだけで疲れた。それに比べると、いま自分がいる地下は、まるでここが温泉でもあるかのようにリラックスできる場所だった。一定のリズムで紙が擦れる音に、規則正しくお湯が流れる音が被さって聞こえてきそうだった。
 ふと、優里は元気かな、と思った。
 メッセージアプリに優里の好きなホラー映画のスタンプを送った。
 作業を続けていると、夕方頃に、ぽろん、と通知音が鳴った。
 藤崎さんから、ごはんでもいきませんか? とメッセージがきていた。少し考えて、引っ越してきた荷ほどきがまだ終わっていないので、すいません、と返事をした。

 業務を終え、吉祥寺にあるワンルームのマンションに帰った。大きな公園が近くにある場所がよかった。窓から井の頭公園が見えるからこの部屋にしたのだけれど、会社の家賃補助を使っても、東京はやっぱり家賃がすごく高い。ため息をついてしまう。
 新しい部屋で、こけしと「おばあさんの皮」が私のことを待っていた。皮は、福島を出るときに薬師こけし堂の前であのおばあさんにもらったものだ。
「この皮がおまえを守ってくれる」
 とおばあさんは私にいったのだ。
「え。皮? 皮を、被れってことですか?」
 んだんだ、とおばあさんは頷いて、その、皺だらけのベージュ色のかたまりを私に渡すと、驚くほどの早足でどこかに去っていった。そのとき、優里が私を呼びながら近づいてくる声が聞こえたので、私は慌ててその皮を鞄にしまったのだった。
 まだ、おばあさんの皮を被ってはいない。
 東京のこの部屋にきてすぐに、一度洗濯機にかけて、乾かしていたからだ。
 いま、寝室で、ハンガーにかけている皮を触ってみると、どうやら乾いているみたいだ。思ったよりハリがある。本当に、人間からすぽっと皮だけを抜き取ったようにきれいだ。
 私は少し躊躇してから、でもまあ、全身タイツみたいなものだしな、と思って、皮を被った。
 鏡を見て、びっくりした。おばあさんの皮を被った私の姿に、私自身、あまりに違和感がなかったからだ。全身タイツどころではない。まるで本当に、加齢で、ゆっくりゆっくりこの姿になったかのようだった。他人からもらった皮なのに、目の前のこのおばあさんを見て、私だ、と思った。たるんだ全身の皮膚も、顔にぽつぽつとある染みも、目元に花火のようにパッと散った皺も、白くて細くなった体毛も、確かに私のものだと思えた。
 皮の下の自分の肌を吸収しているかのように、おばあさんの皮は私の体とぴったりと同化した。手足や顔の筋肉を動かしてみた。何度も動かしているうちに、少し痛みがやってきた。リアルだ、と感心した。きっと私がおばあさんになったら、本当にこんな風に体の節々が痛むんだろう、という痛さだった。
 興奮して写真を何枚も撮った。化粧水をばしゃばしゃつけて、皮の上からメイクをしてみた。24歳の私がしているメイクをおばあさんの顔に乗せるのは、ちぐはぐな印象も否めなかったが、それはそれでアリだったし、なんだったら自尊心が高まる心地がした。節々が軋むからあんまり長時間の着用はよくないのかもしれない、と思いながらも、いろんなメイクを試して、いろんなポーズやいろんな角度から自撮りした。おばあさんの私が自撮りをしているアカウントを開設したらSNSで人気になるかもしれない。
 ぽろん、と通知音が響いた。
 明日のお休みは何か予定はある? よかったらあそびにいきませんか? と藤崎さんからメッセージがきていた。
 これは、デートの誘いなのかな?
 私はおばあさんの皮を被って出かけた。

 井の頭公園のなかの待ち合わせ場所に彼は立っていた。約束の時間を30分過ぎても、私がくるのを待ってくれている。でも、彼が知っている私は現れない。おばあさんの姿の私が現れるのだ。
 私は、ゆっくりと彼に近づいていき、彼の目の前で、よろめいたふりをして、転んだ。
「おばあさん、だいじょうぶですか」
 と彼はいって、私を起き上がらせてくれた。
 ここまでは、予定通りだ。
 藤崎さんのことは嫌いではない。嫌いではないからこそ、顔や見た目だけが私であるかのようなまなざしで見られると、ダメージが大きい。彼のことを見極めたいと思い、私は偶然を装って、おばあさんとして接近することにしたのだ。
 私はいま、おばあさんだから、もう、きれいもきたないもない。多くの人は、おばあさんにだったら心を許すだろう。藤崎さんは、私がおばあさんであるからこそ、私の内面を見てくれるんじゃないか、そして彼の内面を見せてくれるんじゃないか。そう願った。
 藤崎さんは近くにあるベンチまで、私の肩を支えて導いてくれた。
「ごめんなさいね」
 と私は、しわがれた声でいう。喉までおばあさんになっている。
 ふぅー、と息を吐いた。ちょうどいい気温なのに、緊張で汗が滲んできた。
 だいじょうぶですか、と藤崎さんはもう一度聞いてくれた。
「待ち合わせですか。私のことは気にせず、戻ってもらったら……」
「いやいや。しばらくおばあさんといっしょにいますよ。どこも痛くしてないですか。よかったら、病院まで送っていきますし」
「やさしいんですね」
「いやいや。当然ですよこれくらい」
「おいくつ?」
「自分ですか。24です」
「ああ! 孫と同い年だ!」
 わざとらしく声を張り上げたあと、私は作り話をした。
 私には孫がいて、私が彼女に「美人だねえ」というと、ひどく嫌がるということ。おばあさんの私には、どうして孫が嫌がるのか理解できないんですよね、という話。
「それは、ほら……」
 藤崎さんは、おばあさんに伝わるように、言葉を選びながら話した。
「おばあさんは、きっと善意でお孫さんにそういってると思うんですけど、世の中には、つらいことがたくさんあるから、その……美人だとか人にいうのは、レッテルを貼ってるみたいだっていうか、そういわれると、お孫さんは、モテるためとか、結婚とかのために、自分が生きてるみたいに見られてるって、そう、思ってしまうのかも。いや、わかんないですよ。だって僕はお孫さんじゃないし、なにかを嫌だっていう気持ちは、人それぞれだから」
 藤崎さんはいつも、営業職らしく割とハキハキ喋る方だ。でもこのときはずいぶん迷いながら、できるだけだれのことも傷つけないように話していた。
「ああ……」
 と私は、しみじみいった。皮の下で、藤崎さんに安心していた。この男の人は無害かもしれない。それだけでとてもうれしかった。

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プロジェクト参加作家

  • 兵庫県 上田岳弘

    上田岳弘(うえだ・たかひろ)

    1979年、兵庫県生まれ。早稲田大学卒業。2013年、「太陽」で第45回新潮新人賞。2015年、「私の恋人」で第28回三島由紀夫賞。2016年、「GRANTA」誌のBest of Young Japanese Novelistsに選出。2018年、『塔と重力』で平成29年度芸術選奨新人賞。2019年『ニムロッド』(講談社)で第160回芥川龍之介賞。

    「君たち」

    有給消化のため、淡路島にある別荘地に滞在する「僕」は、隣の家で暮らす謎の母子に出会う。うらめしや――日本人形で『播州皿屋敷』を演じる少女と自らの境遇について「わかりやすい説明」をする母親との一晩の記憶。

  • 福島県 大前粟生

    大前粟生(おおまえ・あお)

    小説家。92年兵庫県生まれ。著書に小説集『のけものどもの』(惑星と口笛ブックス)『回転草』『私と鰐と妹の部屋』(書肆侃侃房)『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』(河出書房新社)

    「おばあさんの皮」

    「美人とかいわれるのが嫌だった」。故郷の福島県三島町から上京する途中、立ち寄った土湯温泉で「おばあさんの皮」を手渡された京子。皮を被っておばあさんに変身し、気になる男性の心のうちを探ろうとするが……。

  • 北海道 高野ユタ

    高野ユタ(たかの・ゆた)

    北海道出身、在住。2020年、ショートショートの文学賞にリニューアルして初回となる第16回坊っちゃん文学賞で「羽釜」が大賞を受賞。

    「日映りの食卓」

    千雪は、お母さんが作ってくれた最後の朝ごはんを食べなかったことから、食べものをうまく受け入れられなくなる。夢で熊になってとる食事に助けられどうにかやり過ごしてきたが、一周忌が迫ったころ状態は悪化。そこで、一人の同級生と出会う――。