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American Short Shorts Film Festival 2001
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2001.06.25emyの独り言

皆様初めまして、今年チーフを務めました、現役女子大生の奥山恵美です!通称emy(エミィー)。
さてさて、東野さんの一声で始まったこのemyの独り言コーナー(?)、、、下手な日本語ですが、最後まで読んで下さいね。「ヨウヘイの独り言」と比較しながら読んで頂けると、私達がかみ合ってないことが判明するでしょう。いやいや冗談です、読んで行くと裏方のことや監督さんのことがもっと分って頂けると思います。

では、まず、
5月30日(水曜日)から:
夜は来日Film Maker達と広尾のステキな羽沢ガーデンで初顔合わせ!
朝からは不安と期待でどきどきしすぎで大学での授業は上の空。今年のボランティアメンバー、12人中8人(hiroko,yuko,sachiko,chikako,tomoka,eriko and satsuki)は同じ大学なので授業後待ち合わせて一緒に向かうはずでしたが、なんと!!奥山チーフには急遽仕事が入ってしまった。時間ぎりぎりまで曙橋の事務所で地味にせっせこ監督さん&ボランティアのネームタッグを作るはめに!
化粧も直す時間もあらばこそ西田香織さんと古谷智彦(フルフル)さん、三人でタクシーで広尾へあわてて向かった!なのに着いてみると誰もいない。ボランティアメンバーも!!一人も!?私は外面では冷静さを保っていたものの、奥山チーフは内面真っ青。
しかし、さすが皆さん優秀なボランティア!監督さんが到着する前にはいました。さぁー、こちらの準備は出来、監督さん達を待つのみ。
きゃーー!!大雨の中、徐々に監督達到着!私のドキドキ度は最高潮に達していたものの、悪までもクールに監督さん一人一人にネームタッグを渡していきました。女の子のボランティアが多いせいか、監督さん達が若いせいか「これ合コンかな?」と思うような雰囲気の中楽しい一時を過ごしました。しかしながら、この時点ではまだ監督さんの顔と作品が一致していませんでした、やばい!

5月31日(木曜日):
授業を終えた後、ラフォーレ原宿へボランティアメンバーと向かいました。今夜はReception Partyです!
遅刻しながらも監督さん達は会場入りし、ボランティア達の仕事も本格的にスタート!
30日の顔合わせ時のリラックスした雰囲気とは一転し、私は何を焦ってるのか落ち着かずセコセコと報道陣のカメラの邪魔をしてました。
その中でも最初に仲良くなったFilm Makerはプログラムd、In God We Trust 監督のJason ReitmanとそのプロデューサーDan Dubieckiでした。この二人は面白い! まだ少年のような目をしていました(笑)。会場にいた神田うのさんに大いに興味を示していました(少年の目をした狼)。
次に仲良くなったのはDelusions in Modern Primitivism 監督のDaniel Loflinさん、ではなくその連れの女性Tiffanyさんでした。彼女は口数が少なかったですが、親しみを持ってくれてemyさん、emyさんと私を呼んでいました。監督のDanielさんもそれを真似して、二人でemyさん、emyさんと合唱してました。Danielさんはさらに口数が少なかったですが、たまに話すことはwitに飛んだステキな大男サンでした。
歩いたり走ったり、指示出したりとやたらと忙しいその夜は終わりました。

6月1日(金曜日)-- 6月5日(火曜日)
いよいよ1日映画祭始まり!
この日、4限の授業で試験を終えた後、ラフォーレへ直行。学生ですから。
早朝film maker達と築地に行って疲れ果てたヨウヘイとバトンタッチし、私の仕事は始まりました。
丁度program bが上映中だったので、会場の中に入り少々鑑賞。
いやぁ〜映画っていいものですね〜、素晴らしかったですよ。そんな夢のような時間もつかの間、上映終了、ボランティア達が最も必要とされる時間が迫ってきました。会場内でのQ&A後Program bからの監督Daniel LofflinとDavid KartchをEvian Loungeと呼ばれる階段の踊り場へ誘導し、そこで観客と個人的に話せるようにボランティア達は通訳の仕事をします。

2日、3日、4日と私達(監督さんも含め)にはスイーパーズという素晴らしいお仕事があります。原宿美化運動!!朝と午後、一日2回に渡り表参道を掃除します。最初は憂鬱そうな顔をしていた監督さん達もあのかわいいsmartという車に乗れる事もあって、最終的には笑顔と達成感に満ち溢れていました。かなり楽しそうに拾っていましたよ。スイーパーズの責任者と言うべき麗しい片岡さんにはお世話になりました。
その間も、ボランティアには通訳のお仕事もあります。スイーパーズなどで疲れてしまった者の変わりに私が通訳代理に入るようにしていたら、気が付けばほとんど毎日たえず通訳していました。皆の仕事をハイジャックした奥山チーフ。
仕事内容は大体「ヨウヘイの独り言」で分って頂けると思うので、ここからは監督さんレポート!

忙しながらも、もちろんfilm maker達とのコミュニケーションはとっていました。
Program a :
Me&My Old Man 監督のGerogie Rolandは好奇心旺盛かつnaïveで、結構会場内うろうろしていて、話す機会が多かったです。あのハンサムな顔以上に印象的だったのは、緊張ほぐす為にインタビュー時にはいつもビールを飲んでいたことです。彼の作品はスペイン語で語られており、切なさ100%。余韻の残る映画です。
同じくprogram a、Seraglio監督Gail Lernerと Colin Campbellのこのカップルはいかにも「優等生」といったとても感じの良い二人でした。旅するのが好きなようで時間があれば電車に乗って色々な所へ行っていました。「ついさっき京都から帰ってきたんだ」とある日言われたのにびっくり!このカップルの作品にもびっくり!主人公が普通の主婦…なのに、いや、だからこそやるなぁ〜と思った。

Program b:
Daniel Loflinは前にも言いましたが本当に背が高い!Tiffany Tobyとお二人で来てました。彼等の作品Delusions in Modern Primitivismは緊迫感溢れるハラハラした作品で上映中倒れる人続出!!この二人は同じくprogram bのDavid Kartchと仲が良く、いつも三人でいました。DavidのZen & the Art of Landscaping はメロドラマっぽくかなりすごい展開!私はこの作品にAudience Awardの一票入れました。

Program c:
The Ballad of Little Roger Mead監督のMark Carterは残念ながら一回しか通訳に付かなかったのですが、彼の作品の主人公Roger Meadがタレントショーに出て、すごいタレントを披露するというコメディーでした。本当に気持ち悪くなるくらいのすごい才能の持ち主です。Oregon監督のかわりにプロデューサーの方がいらしてました。Oregonはかっこいい作品で近未来での設定でした。カメラの視点、角度がすごく計算されていて、映像は抜群でしたね。

Program d:
からは12X12監督Maja ZimmermannとIn God We Trust監督Jason Reitman。Majaは唯一の女性監督で、笑顔を絶やさない優しい人!そして意欲に燃えてる憧れる人ですね、彼女の作品も力強く生命力溢れる作品でした。Jasonの作品はaudience awardを獲得しました。本当良く出来てるなぁ〜と感じ、短編なのだけれど長編のようにぎっしり詰まっていて非常に面白い!

Program e:
からはThe Hook-Armed Man監督Greg ChwerchakとThe Great Upsidedown監督のBrian Klugman。二人とも若いですね、特にBrianは若いです、まだ学生のようでした、そして激しい天然パーマでアフロヘアーっぽいです。彼が逆さにつるされるシーンはかなり笑える。Brianには私はあえて日本語&お辞儀で接しました、その方が嬉しがっていたもので。おかしな人だわ。Gregはとにかくまつげがながーい!本当ばさばさしていて、暖かーい眼差しを注いでいました。ドキっとしましたね。彼の作品はコミック好きと言うのが分るような要素が織り込まれている。
若いと言えばもう一人、International 作品からのシンガポーリアンのRoystan Tan、23歳とかそこら辺です。しかし彼の作品はとてもそんな若い人が作ったと思えないほどのふか〜い話でした。涙しました。

っと、まぁ〜アッと言う間の5日間でした。Film Maker達全員のメッセージとサインをティーシャツにしてもらい写真もバシャバシャ撮りまくりのアドレナリンでまくりの毎日でした。今でも連絡取り合ってます。メールしてます。一番今の所 頻繁にメールしているのはGeorgie Rolandですね。あとはDavid KartchとDaniel Dubiekiからは大量の写真が送られてきました。その他にもTiffany、Mark Carter等ともメール進行中です!
本当に夢のような毎日で、今年の東京での映画祭は終了してしまって心にポッカリと穴が空いたような感じです。

To my entire dearest volunteer members! Hirko, Yuko, Sachiko, Chikako, Tomoka, Eriko, Satsuki, Aya, Toshiko, Kumiko, Kiko, Aiko, Nao, Ayako, Yohei and Furufuru, Thanks you SOOOO much for your great work! And all the best to all the FILM Makers, and to the wonderful people who made this film festival possible, Seigo-san, Kaori-san, Keiko-san, and Bessho-san, & all the staff! I Love you and thank you for giving me this superb experience!


2001.06.21陽平の独り言2

雨のち曇り
映画祭が終わってしまうと淋しいものだ。しかしそれと同時に事務仕事も増えてくる。大変だけれど、これからの映画祭発展には欠かせないことだ。今日も雨の中、午後に映画祭事務所で作業をしていた。自分のなかでは、いつまでも映画祭発展の為に力になりたいと思っている。

ところで、映画祭が終わったら、ボランティアたちは、どのような活躍をしているのでしょうか。そこで今回は皆様にほんの一部を紹介します。

5時過ぎに、事務所を後にして、東京・広尾にある聖心女子大に向かった。というのは同大学大学の英語演劇部(通称インドラ)が若草物語の公演があったからだ。我等がボランティアスタッフであるEmy、ひろこ、マスダ、ちかこ、よしを、あやも出演していた。すばらしい演技だったよ。
特にラストシーンのひろことマスダは最高だった(具体的なことは見た人しか分からないから省きます)。自称女優のひろこの迫真の演技が印象に残っている。今日の彼女らの芝居を見て、魂を失いつつある自分も元気づけられてきた。今後ともインドラの活躍にご期待下さい。

ボランティアスタッフは自分を除けば、現役バリバリの大学生。みんな英語劇のみならず多種多様な課外活動で活躍しています。日頃身に付けたパワーが糧となって映画祭にいかされているのです。今後ともどうぞよろしくお願いします。


2001.06.13陽平の独り言

Photo初めに
皆さん初めまして。ASSFFボランティアスタッフのヨウヘイです。映画祭も今年で3回目。Seigo兄さんの提案で急遽、自分のコーナーが始まることになりました。第1回目からこのイベントに関わっている自分は、今年1年目のSeigo兄さんから見ると先輩になるらしい。
昨年まではボランティアスタッフのチーフをしていた自分だったが、今年は聖心女子大のEmyをチーフに任命。ボランティア仲間同志でも常に自分の立場は弱い。でもいい子ばかりで仲良くやっていますよ。「ASSFFはこのように作られる」ということに視点を置いて「陽平の独り言」を進めていきます。皆さんをヨウヘイワールドに招待いたします。

ボランティアスタッフ準備編
Emyがチーフをやることが正式に決まったのは今年の2月。彼女には昨年の忘年会のときにその話をして以来ずっと交渉段階に入っていた。結局自分が強引にお願いするような形になったけど、彼女が決心してくれたときは本当にうれしかった。
今年の8月からカンザス大学修士課程に進むことが決まっているので自分が映画祭に関わるのも今年が最後。自分がいなくなっても今まで以上に仕事が上手く進むようにするためには後輩達が育って自分を越えてもらうことが大きいと思っていた。そのようなことを言うほど自分は大した仕事もしてはいないが。
でも今年のチーフは凄いよ。4月、5月とメンバーと密に連絡を取り合い、的確に指示を出す。おまけに冷静沈着な判断力。馬鹿まっしぐらな自分とは全く違う。昨年までチーフをしていたという面影はすっかり無くなり自分も彼女の指示にひたすら従うのみ。
自分はマリーザと常にメールで連絡を取り合って、来日フィルムメーカーのオプショナルツアーの計画を立てた。マリーザは第1回目にフィルムメーカーとして来日して以来、この映画祭にずっと携わっている。自分がカリフォルニアに遊びに行ったときも、ダグラスやケイティーと一緒に食事をご馳走してくれる。国籍は違うけど自分は弟のようにかわいがられている。
ツアーは2つ。浅草・秋葉原と築地に行くことが決定した。

5月30日成田空港・広尾夕食会編
この日は、マリーザ、カメラマンのさやかさんと一緒に、成田エクスプレスで空港に直行。この日は昼間から雨。しかし前日10時間睡眠をとった自分は異様に調子が良かった(29日は夜中にジョギングをして疲れきっていた自分は、マリーザとのミーティング最中に居眠りをしてしまったのだ)。
空港に着いたが、フライトは遅れていた。彼らの到着が非常に待ち遠しくなる。しかし夕方5時には全員到着。そのままリムジンバスに乗って一行はホテルへ。バスの中では「‘In God We Trus」のJasonとDanと一緒に座った。彼らはロッキーファンの自分を‘Japanese Stallion(日本の種馬)’と名づけた。バスの中でも常にフィルムメーカーたちは日本の風景に気を取られていた。2時間もしないうちにホテル到着。
7時30分過ぎにタクシーに乗って一行は広尾・羽澤ガーデンへ向かう。大雨プラス交通渋滞。タクシー運賃も高くついた。天気予報も晴れるって言っていたのに。
現地に着くとTetsuya先輩、Keikoさん、Seigo兄さん、ボランティアたちが既に集結。お酒を飲めない自分はジュースで乾杯。
Seigo兄さんの独り言にもあるようにボランティアは女子大生ばかりということでフィーリングカップルパーティー状態。自分はワクワクしてないけど。それにしてもフィルムメーカーは凄い。到着したばかりで疲れているはずなのに、ビールを何杯も飲む。とても自分にはマネ出来ない。
10時過ぎにはお開きになり、自分は何人かのフィルムメーカーを連れて六本木のShot Barへ。自分はペプシで乾杯。しかし彼らはひたすら飲む。自分は11時30分で失礼したが、彼らは夜中の2時まで飲んだという。

5月31日浅草・秋葉原ツアー編
前日の疲れも取れないまま、朝9時30分にホテルに到着。タフの代名詞である自分にとって何の支障もない。この日はキコ、アイコ(沖田愛子)そしてダグの友達なっちゃん(松田奈津子さん)がツアーに参加。
浅草の仲見世通りで彼らの目にとまったのはキティーちゃんのロゴの入ったせんべい。今ではキティーちゃんは世界中のアイドルらしい。ちなみにJasonはセーラームーンのグッズを探していた(モー娘。ファンの自分も人のことは笑えないけど)。
浅草寺ではみんなおみくじに熱中。何度引いても凶しか出ないのでムキになる。
浅草を後にして一行は秋葉原へ向かう。みんなバラバラになって電気街をぶらつく。カメラやコンピューターに心を奪われている。日本の精密機械ってすごいんだなあと思った。日本人の自分にとって当たり前のことがフィルムメーカーには大うけだ。日本もまだまだ捨てたものじゃない。と言っている自分はアメリカに行ってしまうけど。
午後1時頃秋葉原駅近くで昼食を食べて、それぞれホテルに戻った。自分もホテルでチェックインして部屋へ直行。すぐにシャワーを浴びてから睡眠。5時頃Emyからモーニングコール(イブニングコールかな?)がかかってきて起床。
午後6時、ホテルのロビーへ。ラフォーレ原宿のレセプションに参加するためだ。時間通りに来ない人もいて、結局タクシーに乗ったのは6時20分過ぎ。しかし思わぬ誤算が。渋滞発生。6時半にはラフォーレに着かなければならないのに。Emyからも「何してるのよ?」と心配そうに電話がかかってくる。自分もナーバスになって運転手を怒鳴り付ける。しかしどうにもならずラフォーレに着いたのは、7時近く。心臓バコバコ状態で落ち着けないままパーティーは始まる。
パーティー終了後、Pizza Expressでキックオフ。自分は15枚のピザ、ハーゲンダッツ3個、ティラミス5個、クランベリーケーキを4個食べた。本当においしかった。お腹が空いていたらもっと食べていた。何しろ過去に友達と焼き肉食べ放題に頻繁に通って、その店を倒産させたという武勇伝の持ち主。とことん楽しんだ。キックオフ終了後、Seigo兄さんとホテルへ直行。次の日の築地ツアーに備えて。

Seigo兄さんとの夜、そして築地ツアー
5月31日、ホテルに到着した時は夜12時を過ぎていた。途中、六本木で工事による渋滞。Seigo兄さんと自分はすぐに部屋へ直行。お互い話も出来ないほど疲れきっていた。部屋でテレビをつけると、サッカーの話題。Seigo兄さんはサッカーファン。話し出したらとまらない。次にプロ野球のコーナーへ。巨人ファンの自分とタイガースファンのSeigo兄さんとは話が合うはずがない。しかし話すどころかお互いいつのまにかぐっすり寝入ってしまった。二人の間に何があったかは国家最高機密。
翌朝4時過ぎ、Seigo兄さんに起こされる。そして4時半過ぎにロビーに連れて行かれる。フィルムメーカーたちも次々と降りてきて、5時頃タクシーで築地へ直行。築地はなんと行っても競りが面白い。身長180cmある自分がすっぽり隠れてしまいそうなほどでっかいマグロが並び、オジさんたちが一斉に叫ぶ。たくさんの海外からの観光客が訪れていた。
7時頃朝食。1000円くらいの海鮮丼を食べた。すごくおいしかった。その後、地下鉄でホテルへ戻り再び寝た。9時頃Seigo兄さんに起こされて、ホテル内の和食レストランへ。Seigo兄さんの御家族と一緒にこの日二度目の朝食。それにしてもSeigo兄さんの御家族は寛大で親切であった。色々ともてなして頂き、ありがとうございました。
11時、ホテルを出て、ラフォーレに向かう。一日目スタート。映画祭期間中のことはSeigo兄さんの独り言を見て下さい。

スイーパーズ大作戦
6月2、3、4日の3日間、表参道の奉仕作業に取り組んだ。フィルムメーカーとボランティアスタッフの協同作業により道はきれいになって行く。それぞれの日に2回ずつ行われたが、非常に暑く、人が多く、疲れた。でも我々の手によって街がきれいになって行くのは気持ちよかった。
驚いたのは大量のごみ。皆さん、ポイ捨ては止めましょう。

友愛
映画祭開催はたったの5日間。しかしその短い期間でも我々ボランティアとフィルムメーカーとの間に生まれた絆は堅い。
我々ボランティアも常に来日したフィルムメーカーのケアをしているとお互いの関係が友達、さらには家族になってくる。EmyのスタッフTシャツはすごい。監督達からのメッセージやサインが落書きように埋め尽くされている。自分もそこに一筆書いてしまいたくなるほどだ。
自分もJasonとは年が同じということもあり、いつもレスリングごっこをして遊び、コーリンやゲ−ルには宝物のように大切に扱われた。自分にとってはみんな兄弟であった。彼らからたくさんのお土産をもらった。折角仲良くなれたのに日本を離れてしまうのは、非常に淋しい。映画祭の千秋楽が終わった瞬間、そう感じた。

野球観戦
6月6日夜。映画祭が終わった次の日、自分は東京ドームへ。巨人対中日。Jason、Greg、Mark、Brian、そしてアイコが来た。やっぱり野球は面白い。Jasonも10年前にお父さんと東京に来た時、ドームでスーパーボールを見たそうだ。他の監督も野球ファンで東京に来たからには巨人戦は見たかったと言っていた。
アイコも俺も巨人ファンで松井がホームランを打つと発狂する。しかしこの日の巨人はだめ。負けだと悟った自分達は6回表でドームを抜けてゲーセンへ直行。結局、負けたみたいだ。自分が一押しの清原も三振。二打席連続ホームランを打ったのは次の日。
監督達はゲーセンで大爆発。ボクシング、エアホッケー、DDRとあらゆるたぐいのゲームに燃えていた。疲れきった彼らをホテルまで送り、自分とアイコはロビーで最後の別れを惜しんでホテルを後にする。彼らはみんな「ロサンゼルスで会おう!」と言ってくれた。

最後に
映画祭が終わってほっとする気持ちがあるのと同時に、悲しい気持ちが残る。今年で3回目であったが、過去2回よりも自分にとって得たものは大きかった。今回はたくさんのことを学んだ。ここまでやり遂げられたのは皆様の力が大きかったからだと確信しています。
最後まで自分と暖かな目で接して頂いたTetsuya先輩、Keikoさん、Seigo兄さん、チーフのEmyには心から感謝の気持ちを示したいと思います。特にチーフにはいろいろと迷惑をかけたけど、最後まで自分のことを使ってくれて本当に嬉しかったです。
それからボランティアのメンバー、ひろこ(奥 紘子)、ちかこ(船山 智香子)、さっちゃん(藤田 沙智子)、マスダ(小坂 裕子)、さつき(鍋島さつき)、ともか(吉永知香)、よしを(吉野 絵里子)、イトクミ(糸川 久美子)、キコ(服部 吉則)、ふるふる(古谷 智彦)、アイコ、あやこ(有働 綾子)、なお(浅見 奈央)、あや(成井 あや)、としこ(大谷 暁子)にも感謝の気持ちで一杯です。去年までは自分が頭として動いてきたけど、今年は去年以上にみんなに支えてもらったと思っている。
来年からもアメリカンショートショート発展の為に力になれればと思います。次回からはどのような形で映画祭に関わるか分かりませんが、ASSFFに骨を埋めるつもりで頑張りたいと思います。今回来日したアメリカのジャーナリストEdwardがカンザスに住んでいてカンザスシティでも短編映画祭が開催されていることを聞きました。アメリカでもたくさんのことを学びたいと思います。これからも鈴木 陽平はますます驀進します。皆様、どうもありがとうございました。

Yohei


2001.06.09事務局長の独り言

事務局長 in SAPPORO8時半に起きる。テレビをつけると池田市の児童殺傷事件が報道されていた。実家の宝塚市が池田市とは隣のようなもので、まさか家の近くでこんな事件が起こるとは!?みんなも感じているだろうが、この怒りをどこにぶつけたらいいのだ?
札幌開催の上映が昼からしか始まらないし、この事件の報道で気分を害したので町を出る事にした。小樽に行こうと思って札幌駅のプラットフォームで電車を待っていたら、構内アナウンスがあった。人身事故で「札幌―小樽」が不通になったということだ。仕方が無いのでバスで行く。
沢山の人がバス停で並んでいた。50分ほどで小樽に着く。太陽がまぶしいほどで気持ちが良い。小樽では運河のあたりを歩いてソフトクリームを舐めながらブラブラした。この町にある記念碑などのプレートの説明文は必ず英語の他にもロシア語に訳されていたので、日本でありながら異国情緒を感じた。

さて、札幌に戻り、映画祭が開催しているアーバンホールへ直行。札幌市内はヨサコイで盛り上がっている。客入りは大丈夫かな、と少し心配しながら会場へ。アーバンホールの270ある席がかなり埋まっている。久保さん(札幌開催プロデューサー)曰く、「ヨサコイの客層と全然違うから」。ヨサコイの影響は、全く無かったと言って良いだろう。東京開催と同じく、地元の大学生ボランティアの掛け声がホールのロビーで響く。
僕はここで「インターナショナル・プログラム」をみた。東京では作品が終わる事に拍手があったが、札幌会場では無かった。と、いうか誰か拍手をしなければ、拍手をしても良いものかも判らないんだと思う。僕が拍手のキッカケを作ろうかと思ったが、こちらの方々のメンタリティーをよくしらないので、軽率には出来ないと感じた。
札幌の観客動員も問題が無い事を確認してから札幌を後にした。夜、9時前の飛行機で東京に戻る。


2001.06.08事務局長の独り言

午前7時半。実行委員長の別所と米国プロデューダーのウィリアムズにモーニングコールをかける。45分後に下のロビーで待ち合わせする事になった。待ち時間にロビーに行き、しばらくすると実行委員長が下りて来た。ウィリアムズを待っていても来なかったので、朝食のレストランに入ると、そこでウィリアムズを発見。既にヨーグルトをほうばっていた。実行委員長ともにガクッ!
朝食後は実行委員長とウィリアムズは東京へ戻る為、ホテルをチェックアウト。僕はトークイベントに出る為、明日まで滞在することになった。午前中は部屋で「独り言」を書いたりしていた。昼頃になって、映画祭のトークイベント会場に向かう途中、ラーメン屋に入る。東京では滅多にラーメンを食べないので美味かった。

去年の札幌開催の会場となった「エディット」でトークイベントは行われた。司会は札幌開催プロデューサーの久保さんで、CGアーチストの菅原正さんや、元レスフェストのディレクターで、現在ワンドットゼロという映像イベントを手掛けるアンドリュー・トーマスさんが出演。他にも「ジャパン・ショート・ショート」で入選した3人の監督(アラキ君、小野寺君、島田君)もパネルに参加していた。
彼らの映画や映像を上映しながら、映像の将来について語りあっていた。その後、東京開催の報告として、僕もパネルに参加。あと、東京会場で「おはぎ」のデービッド・グリーンスパン監督の通訳などを努めてくれた松田なつこさんが、映画祭のレポートをしてくれた。なつこさんは札幌の出身で、東京開催の時はわざわざ、来てくれていたのだ。

その後、「エディット」から実際の上映を行っている「アーバンホール」に。本日が初日で、金曜日の昼過ぎとあって、客入りはボチボチだったが、夕方くらいになってから人が多くなってきた。東京開催と違って札幌会場では「女性」が圧倒的に多いと思ったが、これは僕の思い過ぎであろうか。
札幌の会場「アーバンホール」は元映画館(ピカデリー1)を改造しただけあって、シートも良いし、傾斜になっているので前の人の頭も気にならない。音の迫力は東京会場の方が良いと思ったが、全体的には素晴らしい会場だ。
あと、札幌プロデューサーの久保さんオリジナル企画満載の映画祭になっていた。本編上映の前に映し出されたビデオには、札幌市内にいる人たちが「アメリカン・ショート・ショート!」とそれぞれの表現で叫んでいたり、ローカルサポーターのレストランのコマーシャルを「ジャパン・ショート・ショート」で入選した島田君(札幌出身)が撮っていたり・・・東京会場の様にフィルムメイカーが居ない代わりに、独自のアイデアで札幌開催は盛り上がっていた。

夜は札幌プロデューサー/事務局長の久保さん、実行委員長の村井さん、実行委員メンバーの山岸さん、BSデジタル開局記念特番「地球大爆破」プロデューサーの古田さんとウェブプロデューサーの佐藤さん、松田なつこさんとで食事をした。古田さんと佐藤さんは結婚されるそうで、メデタイ話を聞かせてもらった。佐藤さんは「007は二度死ぬ」の浜美枝を彷彿させるし、古田さんも将来有望の才能溢れる映像プロデューサー。西郷輝彦に似ている。美男美女のナイスカップルで、現代のおとぎ話しのようだ。
それに比べてウチの事務局は・・・この前も書いたか忘れたが、とにかく、東京事務局は「独身者」で支配されている。映画祭が続く限り、我々もシングルのままなのだろうか・・・


2001.06.07事務局長の独り言

いつもの様に朝10時、事務局へ出勤。今日も映画祭の後片付けで一日が始まる。ちょっとチェックしない間に随分と受信メールもたまっていた。
2時間ほど、仕事をした後、事務局を出て、羽田空港へ。明日から「ASSFF in SAPPORO」という事で、今夜は札幌でレセプションがあるのだ。実行委員長の別所とウィリアムズとは羽田空港で待ち合わせをする。

新千歳空港についてから3人は電車に乗って札幌駅へ。ウィリアムズが窓から見える山などを詳しく解説してくれた。なんとこの男、北海道大学出身で、地元のテレビ局でも何年か仕事をしていたらしい。
札幌は彼の第二の故郷だったのだ。駅に着くとウィリアムズが、遠足の先生の様に先頭に立ち、込みあった構内をスイスイと歩いていく。まるで僕と実行委員長は引率される小学生のようだった。ウィリアムズの案内で無事、タクシー乗り場に着く。ホテルにチェックインした後、10分後にロビーで待ち合わせをして、早速、本日の前夜祭が行われる「エディット」に向かう。普段、車移動が殆どの実行委員長は、久しぶりに歩くと疲れているみたいだった。車社会のロサンゼルスに住むウィリアムズは、平気の様子だった。なんでもロスでは、シェイプアップに励んでいる様で、彼の腕も小学生の太ももくらいはある。ウィリアムズを一言で表現すると鍛えあげたバービー人形のボーイフレンド、ケンかな。誰かは「GIジョー」と言っていた。

「エディット」に行き、札幌プロデューサー/事務局長の久保さん、札幌実行委員長の村井さん、実行委員の山岸さんにご挨拶する。控え室に行くと「地球大爆破」のプロデューサー、古田さんとウェブデザイナーの佐藤さんがいらした。後で、CGアーチストの菅原正さんも来られる。
7時頃からレセプション・パーティーが開かれた。別所、ウィリアムズそして僕も東京を代表して紹介される。あと、札幌の米国領事館代表が祝辞を述べて、ショートフィルムの上映も行った。
最後に「おはぎ」が上映され、「十勝おはぎ」が会場の皆さんに配られた。素晴らしい演出だ。みんなが「おはぎ」をほうばりながら「Bean Cake/おはぎ」を鑑賞した。レセプションが終わると、実行委員長別所は女性に囲まれ、写真を撮られたりしていた。

その後、札幌開催の実行委員メンバー総勢で、食事に行く。札幌開催には「サポーター」のレストラン、カフェ、居酒屋などがあり、映画祭のポスターやチラシを店頭に置いて、映画祭を影で盛り上げている。
今夜はサポーターの店でもある「ガラム」で、北海道の新鮮なシーフードが豊富な無国籍料理を堪能させてもらった。その後、二次会としてサポーターのバーに行き、前夜祭の続きは朝の3時ごろまで続いた。(らしい)相変らず眠たくなった僕は、村井実行委員長にホテルまで送ってもらった。ありがとうございました。


2001.06.06事務局長の独り言

昨夜、映画祭会場の後片付けが終わってから、原宿近辺の居酒屋「食い物屋」で、フィルムメイカー、ボランティアでの打ち上げ会を開く。その後、二次会の場所を「Elephant  Cafe」に変え、アルバイト・スタッフの皆さんも加わり、ドンチャン騒ぎは夜更けまで続いた(そうだ・・・僕は眠たくなって帰った。)

朝10時。前夜は何事も無かった様に事務局へ出勤。映画祭が終わってからお金の清算が山ほどあり、銀行に行く。後ろにある倉庫にも映画祭関係のパネルなどがたくさん戻っており、アシスタントの西田と片岡がせっせと後片付けをしている。しばらく、新宿の事務局には戻っていなかったので、不思議な感じだ。ホントにもう東京開催は終わってしまったのだろうか?
札幌開催が明後日から始まるので、パネル関連やオフィシャルTシャツ、カタログなどを宅配便で送る手配をする。お昼頃、プロデューサーの高橋が「てんや」のテイクアウト天丼を持って事務局へやってくる。(間違って西田の野菜丼を食べ始めたので、適当に僕の天丼からご飯や具を足しておいた。本人は知らなかっただろう。)丁度、実行委員長も現われたので、昼食に参加する。
昼食後は各個人、黙々と仕事をはじめる。委員長の別所はお礼のメールを書いていたのだろうか。僕は助成金を頂く団体への経過報告書など、たまっていた書類を用意した。
実は今日の夕方、フィルムメイカー達と東京ドームへ野球観戦に行くことになっていたが、この膨大なる後片付け、また、米国サイドとのミーティングもあるようなので、行けなくなってしまった。ボランティアの陽平にフィルムメイカーのケアを頼むとしよう。

6時頃、米国サイドの実行委員メンバーが集まった。いつも原宿のカフェで行っていた「サミット」が始まる。米国プロデューサーのダグラス・ウィリアムズを除いて、プログラム・ディレクターのマリーザ・シュナイダーとアシスタントのケイティ・オコネルは明日、帰国するので、じっくり来年の準備に向けてミーティングを行う。
9時過ぎまで、ミーティングをしたのだろうか。みんなお腹が減っていたので、居酒屋「寅」に行く。ここでは仕事の話をやめて、お互いの家族について語り合った。なかなか興味深い話だ。こういう機会で無いとそんな事はお互い話さないだろうから。このメンバーはNYへ帰る高橋を除いて7月、シンガポールで再会する予定。


2001.06.05事務局長の独り言

乾杯!今日は東京開催の最終日。映画祭米代表のダグラス・ウィリアムズは以前から(忙しすぎるので)「早く、映画祭が終わって欲しい」といい続けて、僕もその度に頷いていたが、実際、最終日を迎えるとやはり寂しい。アッという間の5日間だった。フィルムメイカー達は今日、帰国する予定だったが、彼らの希望でなんとか一日、フライトとホテルの予約を延ばせた。彼らも、「ASSFF」と東京滞在を満喫しているようで、一日でも長く、日本に居たいようだ。ホスト側の我々からすると、エンジョイしてもらっているので嬉しい。今年のアカデミー賞短編部門賞にノミネートされた「Seraglio」のフィルムメイカー・チームで、仲の良い夫婦でもあるゲイルとコリンは本日、フリーなので京都に足を運んだと聞いた。こうした日本での経験がまた、彼らの次回作のインスピレーションになってくれるのではないだろうか。やはり、作家(監督、脚本)には想像力が必要な事はもちろんだが、それ以上に人生経験で感じた事や体験が大事であって、それがまた、作品に反映されるのだ。良く考えてみると「想像力」というのは、個人の経験や体験がもとに養われるものではないだろうか。

さて、先日の様に事務局の朝は9時半に原宿の「Café 632」で始まった。映画祭開催中の5日間だけしか日本側と米国側の実行委員メンバーが揃わないので、来年に向けての方向性を決める話し合いだ。(我々は「サミット」と呼んでいる)。今朝は、映画祭のインターナショナル化を目指す上でどの様にして、ショートフィルムを両サイドで選定していくか、などについて議論しあった。また、インターナショナル化に伴い、来年のフィルムメイカーもアメリカだけではなく、ヨーロッパやアジアから多人数になる可能性もある事で、誰が彼らの宿泊手配をするかなど、細かい部分まで話が及んだ。おかしな話、映画祭開催前は事務局が旅行代理店みたいになるのだ。来日フィルムメイカーの他にも同伴の家族や友人も来日するので、みんなのフライト予約、ホテル宿泊、変更、キャンセルなど全部、事務局が対応している。正直言って面倒くさい。ホテルの予約の時にもアメリカから送られてきたリストでは、たとえ同伴者が異性であっても、カップルなのか、友達なのか良くわからない。その場合、「じゃ、部屋のベッドはダブルにしたら良いのか、ツインにした方が良いのか」など、余計な事も考えもしなくてはならない。かと言って、個人で予約してもらう訳にもいかないし・・・。

本日の上映には各プログラムの一番最後に「Bean Cake/おはぎ」が付け足された。デビッド・グリーンスパン監督もその後のQ&Aに出てもらって、流暢な日本語を話していた。本当にこの人は頭が良い。なんでもハーバード大学を卒業、京都で日本語を勉強し、野村証券でも仕事をしていた事があったそうなのだ。今は、日本の「昔話」をモチーフに次回作の構想を練っているとの事。

映画祭が始まって以来、毎日オフィシャルTシャツを着ていたが、最後の今日は「In God We Trust」のジェイソン・ライトマン監督にもらった「Evolution」という全米公開されるSFコメディ大作のTシャツを着た。去年、「In God We Trust」のエントリーが決まった頃、僕はジェイソンが、あるメガ級ハリウッド監督の息子では無いか、と思った事があった。名前が「ライトマン」だからだ。80年代に「パラダイス・アーミー(原題STRIPES)」というコメディが全米で大ヒットして、当時、アメリカの中学に留学していた僕は、その映画を繰り返しみて、アメリカ俗語を覚えた。その映画には当時、TVコメディ番組「サタデー・ナイト・ライブ」で人気を博していたビル・マレイが出演し、彼にとってはテレビスターから映画スターへ華麗なる転向をした記念すべき作品となった。この「パラダイス・アーミー」の監督こそ、アイバン・ライトマン。チェコ系カナダ人で後に、「パラダイス・アーミー」で組んだビル・マレイ、ハロルド・ラミス、そして新たにダン・アクロイドを加えて「ゴーストバスターズ」を監督した。その後、シュワルツネガーとダニー・デ・ビートとのコンビ作「ツインズ」や「ジュニア」、そして僕の好きなケビン・クラインが大統領に扮した「デイブ」など監督。皆さんもご存知であろう。とにかく、彼はハリウッドの良質なコメディ大作の巨匠で、作る映画は殆どが大ヒットしている。
話は長くなったが、ジェイソンが彼の息子と確信をしたのは、「In God We Trust」の劇中。間違って落雷を受けて、「死」の事務所にやって来た役の青年がどうしても、アイバン・ライトマン監督にそっくりだったこと。ワンカットのシーンだったが、その青年がこの作品の監督のジェイソンであろうと思った。案の定、映画の最後でキャストの名前をみていると、役柄は明記されていなかったが、ジェイソンの名前がクレジットされていた。
話を続けるが、昨夜、フラッと会場事務所に現われたジェイソン。僕に「いろいろ、世話になった。お土産のTシャツなんだけど、もらってくれる?父さんのSFコメディー大作 Evolutionなんだ。もうアメリカでも公開されるよ。」といいながら、「Have a nice day!」のスマイル・キャラクターが「3つ目」になってプリントされたTシャツをくらた。こちらには「Have a nice end of the world」とかかれていた。僕も「実は君の父さんに会った事があるよ。10年前、ある試写会(ポール・バーホーベン監督のシュワちゃん主演映画「トータルリコール」)で君の父さん(アイバン・ライトマン監督)をみつけて、僕はサインをして貰った。今でも僕の部屋に飾っているよ。」というとジェイソンは感激してくれた。今回、映画祭の実行委員メンバーは、彼が有名人の息子だからといって、もちろん特別待遇はしなかった。あくまでも、「In God We Trust」というアイデアに溢れたショートフィルムを作った才能ある若き監督(まだジェイソンは23歳!)として彼を招いたのに過ぎないのだ。(実際、ジェイソンはかなり優秀で、15歳の時に、AIDSをテーマにしたビデオコマーシャル作品でグランプリをとった事がある他、宝石ビジネスも手掛けていて世界中でヒットした商品を管理している。この「In God We Trust」もその宝石ビジネスで儲けた金で作ったらしい。)

話は長くなってしまったが、最後の日はこのジェイソンからもらったTシャツを着ていた。(プロデューサーの高橋から「事務局長、映画祭よりハリウッドを選んだわね。」と嫌味を言われたが・・)
と、いうか個人的にはこの映画祭オフィシャルTシャツは似合わないと思っている。その証拠に映画祭事務局が設置されている「サニーサイドアップ」にオフィシャルTシャツを着ていったら女性社員、全員に笑われた。「正剛さん、似合わないですね〜」と。
因みに今日、このアイバン・ライトマン監督新作「Evolution」のTシャツをきていると、「カッコいいじゃん。俺もそのTシャツ欲しいな。」と言ってくれた人がいた。ジェイソン・ライトマンだった。
「Evolution」の全米公開は今週の6月8日!



2001.06.04事務局長の独り言

映画祭の会場にはいろんな映画のチラシやイベント告知の案内を机にならべて置いている。その中で「ハリー、見知らぬ友人」というのがあった。現在、東京で公開されているフランス映画だが、実は僕はこの映画の大ファン。つい最近、フランスからDVDをとりよせたぐらいだ。ヒッチコックのサスペンスとコメディがまざった様な映画でフランスでは去年、大ヒットした。僕がこの映画を知ったのはフランスでも話題になる前。去年、日本でも公開された「倦怠」という映画で出ていた新鋭女優ソフィー・ギルマンのファンになったので、彼女の次回作などをネット上で調べていたらこの映画の存在がわかったのだ。映画祭の準備で忙しかった5月の中旬くらいに注文していたDVDが到着したので、土曜日の夜に観たのを覚えている。
因みに事務局長のオフは昨年の9月から毎週に一回、土曜日の夜しかない。(実行委員長が毎週土曜日の夜、テレビの生番組に出演しているので、この時間はミーティングがないのだ!)「鬼の居ぬまに洗濯」とはこの事であろうか。この「ハリー、見知らぬ友人」のDVDは2枚組セットになっている。1枚目は映画で、2枚目は映画製作の全てが判るメイキングや監督、スターのインタビュー。日本でもこの様なDVDがあるよね。あと、日本でも2月くらいに公開された「クリムゾン・リバー」のDVDもフランスの通信販売で手に入れた。知っている人も多いと思うが、マチュー・カソヴッツ監督の新作でジャン・レノが出ているスリラー。「羊たちの沈黙」と「セブン」を足して2で割ったような映画だ。これも2枚組のボックスセットでメイキングが豊富。音声チャンネルの切り替えで、監督、レノ、カッセルらのコメンタリーが映画の最初から終わりまで詳しく聞ける。日本でも夏の終わりくらいに出るのでは。

さて、映画祭の4日目にあたる今日はトークイベントで始まった。レゴやストップアニメーションに詳しい片桐襄二さん(ポンキッキのムックとガチャピンを創った方なのだ)、「The Ballad of Little Roger Mead」のマーク・カーター監督と「The Hook-Armed Man」のグレッグ・チュチャック監督も参加した。最後に先日、カンヌ国際映画祭短編部門でパルムドールを獲得したデビッド・グリーンスパン監督の「Bean Cake / おはぎ」を日本初上映。監督とこのショートの主役、宮川竜一君がトークイベントに現れた。竜一君を迎えた実行委員長(別所)をみるなり「うわっ、本物だ!」と叫んでいたのが印象的だ。それを目撃した映画祭の企画・広報宣伝プランナーの山崎(通称ローリー)は「(竜一君を指して)こっちも本物だ!」と言っていた。グリーンスパン監督とは映画が撮影されてから2年ぶりに会ったという事で、竜一君は監督の顔を見るなり、泣き出していた。
MCが板についているASSの米国代表、ダグラス・ウィリアムズが監督を紹介し、Q&Aのコーナーに入る。グリーンスパン監督は「(ショートが日本人、文化を描いているので)一番タフな観客に観られるにはかなり緊張しました」と本音をポロリ。観客の中からは、「物語の設定になっている1933年の日本はこんなのでは無かった」という批判があったが、監督は「なるべく、正確にセットを作る様に手掛けたが、予算の都合で限界があった。皆さんの指摘は正当であり、次回作の反省点として心がける。しかし、一番大事なストーリーの内容には影響は無かったと思う」と語った。主役を演じた竜一君もたくさんのメディアからの取材に応じ、最初は恥ずかしかったようだったが、後になるとリラックスして終始ご機嫌だった。共演したサヤカちゃんについては「優しかった」と言っていた。

今、この「独り言」を書いているが、横にいる事務局長アシスタントの西田に何故か笑われている。僕が映画「トイ・ストーリー」の落ちぶれ宇宙飛行士の役のキャラクターにそっくりというのだ。この映画は観ていないので知らない。横にいるウィリアムズまで、「そうだ、そうだ」と言って僕の事を笑っている。どんなキャラクターや?
フィルムメイカーの皆さんは今夜、六本木近くにある「Club Coco Bongo」という所に遊びにいくそうだ。会場での最後の上映が終わり、10時半頃いくらしい。みんな毎晩、ハメをはずしているようで、結構な事だ。僕も行きたいが、明日の事を考えると・・・・最近、上映に組み込まれているフィルムメイカーとのQ&Aなどでも通訳、MCをしているので、頭がフラフラだと役がつとまらないから。
明日で、東京開催は終わるが、今週末から札幌開催が始まる。東京の実行委員会メンバーも前夜祭などでの挨拶があるので、応援にいくつもりだ。札幌の後、名古屋、沖縄、シンガポール、松本と続いていく・・・



2001.06.03事務局長の独り言

今、事務局が購入したばかりのこのノートパソコンを開こうとして、何処に電源ボタンがあるかわからなかったので、実行委員長にきいたら「東野君、自分で探してください!」といわれた。横にいた事務局サポートの片岡麗も笑って教えてくれない。事務局内でも「いじめ」があるとは!二人にはcプログラムの「Elle etait si jolie…/彼女はとても美しかった」を見て頂きたい。在日フランス人が「いじめの問題」を取り上げた異色作だ。

さて、実行委員会メンバーが午前9時半に原宿近くにある「カフェ632」で来年の映画祭の戦略を考えるミーティングを行う。実行委員長の別所、エクゼクティブ・ディレクターのダグラス、プログラム・ディレクターのマリーザ、アシスタントのケイティと西田が参加する。一番の懸念事項といえば、来年の映画祭の時期が「ワールドカップ」と重なる事。フィルムメイカーの宿泊の事などを考えると時期をずらさないといけない。準備期間を考えるとワールドカップ前は難しいだろう。多分、夏になるのかな。このミーティングでは決まらなかった。あと、何百とあるショートフィルムの応募に関して、なるべく観客の皆さんに「旬」で「日本初上映」の作品をみてもらいたいので、製作年も新しくする方針。こういうミーティングをこれから上映の合間に何回か重ねていくつもりだ。
映画祭も3日目の中盤を迎える。午前11時半の上映に間に合わせて、ラフォーレミュージアムに戻る。既にたくさんの観客が並んでおられた。感謝、感謝!
本日の最初のプログラムは「アメリカン・ショート・ショート アワード」が授与された「Delusions in Modern Primitivism」が含まれるプログラムB。何回みても良くできている作品だと思う。このプログラムからは「Zen & Art of Landscaping」というコメディを監督したデビッド・カルッチも来日。シナリオと構成がしっかりしたショートフィルムだ。彼は現在、長編映画デビューに向けてシナリオを執筆中だ。
さきほど、フランス大使館のジュリーさんが上映をみにきた。映画祭をもっとインターナショナルにするには、フランスを含めたヨーロッパからのショートフィルムの上映も必要だ。これから事務局もみなさんと仲良くやっていきたい。そういえば、レセプション・パーティーにはイスラエル大使館2等書記官のズィーフ君もきてくれていた。今年の1月にフランスで行われた世界規模のクレルモン・フェラン国際短編映画祭でプロデューサーの高橋と素晴らしいイスラエルのショートをみた。ズィーフによるとイスラエルではかなり多くのショートフィルムが製作しているらしい。来年は是非、こうした各国からのショートをもっと紹介できるといいであろう。
さて、今、僕の隣でAプログラムの「Me & My Old Man」というショートのジョージー・ローランド監督が何やらメモをとっている。今日は彼の作品の上映はなかったので、東京の何処かで観光をしていたと思うが、その日記だろうか。もしかすると彼の次回作の構想かもしれない。ジョージーは黒澤明の大ファン。アメリカ人だが「外国映画」の方が好きなんだそうだ。この「Me & My Old Man」もスペイン語で字幕付きだ。(本人は別にスペイン系でもないらしい。)字幕で映像とストーリーを表現したかったとプロフィールに書いていた。さっき、黒澤のファンといったが、半端じゃない。僕も黒澤映画は殆ど「レーザーディスク」で持っているが、彼には負ける。黒澤の作品に「生きる」というのがあるが、この「生きる」という文字を右腕にタトゥーとして入れている。恐れ入った。
今、午後7時過ぎだが、ボランティア学生が弁当を食べている。「金兵衛」という業者だが、なかなか美味いんだ。関西人の僕には味は濃いと思うが(というか、東京の食べ物は全体的に塩辛い)カレー味の卵焼きはマイウー!良い弁当をスタッフに提供するのも映画祭の成功につながるのだ!
最後に一言。事務局サポートの片岡麗(自分で「綺麗の麗ですよ」と言っている)が「♪明日の朝もスウィーパーズ、欅をキレイにし〜ましょ♪」と独り言の様に歌っていた。不気味だった・・・



2001.06.02事務局長の独り言

会場バックオフィスにて原稿を書く事務局長映画祭の2日目、午前10時。来日しているフィルムメイカー、映画祭実行委員長、
実行委員メンバー(日本、アメリカ)、ボランティア学生がある「ミッション」を行うため、ラフォーレ前に集合。全員で35名ぐらいはいただろうか。活気溢れる雰囲気の中、「スウィーパーズ」が始まった。
去年もおこなったこの「スウィーパーズ」。原宿表参道のゴミを拾うボランティア・グループだ。今日から3日間に渡って、毎朝10時と午後3時に45分間行われる。10時過ぎにスタートした「お掃除」。ラフォーレ原宿から表参道を上がっていく。ゴミ箱と放棄をもったフィルムメイカー達が先頭にたって、丹念にゴミを拾いはじめる。
一番多いゴミはタバコの吸殻。あと、欅の下にペットボトルなんかも転がっている。

ここでこの「Volunteer/ボランティア」という言葉をについて考えたい。もともと仏語にもある「volonte/ボロンテ」というのは「意思ある思い」のこと。「ボランティア」と聞くと何か、めんどくさいイメージがあるが、僕達の「思い」だけでも「ボランティア精神」と言えるのでは無いか。これを考えると一言いいたい。「タバコのポイ捨て」はやめて欲しい。
最近は電車内での暴力事件も多発しているが、「公共スペース」をプライベートな空間と勘違いしないで欲しい。この「思い=ボランティア精神」こそ僕達に必要なものかな、とこの「スウィーパーズ」で改めて考えた。

さて、表参道をグルっと一周をして11時過ぎに帰ってくる。本日の最初の上映は11時30分。プログラムDから始まった。
このプログラムからは「12×12」のマジャ・ジマーマン監督、そして「In God We Trust」のジェイソン・ライトマン監督、プロデューサーのダン・デュベーキが質問コーナーに出演。スイス出身のジマーマン監督にはヨーロッパでのショートフィルムの現状を話ししてもらう。スイスでも12時間ノンストップでショートフィルムを上映する短編映画祭があったり、数多くのショートフィルムがTVでも放映されたり、アメリカと同様に盛り上がっているそうだ。「In God We Trust」の製作資金について、ライトマン監督は各企業に企画をプレゼンして集めたそうだ。映画製作期間は3ヶ月。脚本に1ヶ月。撮影は12日間。ポストプロダクション(編集、音入れなど・・)で1ヶ月を費やしたらしい。

土曜日ともあって、プログラムの上映が進むにつれてオーディエンスの数も増えてきた。2時頃に始まった「Eプログラム」も盛況だった。このプログラムの上映の最初に「The Hook-Armed Man」のグレッグ・チュウチャック監督と「The Great Upsidedown」のブライアン・クラッグマン監督とプロデューサーのドリュー・ベルさんを紹介する。
上映後、彼らとオーディエンスのQ&Aが行った。MC担当は僕。「The Hook-Armed Man」作品には一部、アニメが含まれていて実写とアニメが混ざったスタイリッシュな作品だ。観客の質問で「このアイデアは何処からきたのですか?」に対し、グレッグ・チュウチャック監督は「編集の時に足りないショットがいくつもあっ
たのが判明した。取り直すとなれば又、数千ドルはかかる。その解決法として足りない部分をアニメにした」と語った。なるほど。全員といって良いほど、ショートフィルムの作家には十分な製作資金はない。その中で、いかに良質な作品に見せるのは至難の技であり、監督としての器量を試すには適している。「ショットが足りなかった」という問題を「アニメと混ぜ合わせ」、結果的にはユニークな映像に仕上がり、成功した。すばらしい。
僕も以前、ショートフィルムを作った事があるが、仲間にはげまされた事がある。「Problems don't exist. There are only solutions/問題という言葉は存在しない。「解決法」のみ存在する。」

今日は初めての「インターナショナル・プログラム」このプログラムからの来日フィルムメイカーはシンガポールから来たロイストン・タン監督。彼の作品「Sons」は父と息子の関係を繊細に綴った心打たれる詩的な作品だ。初めて、見たとき、その内容の深さからある程度、年をめされた人かな、と思っていたが、なんと24歳の明るい青年だった!上映後のQ&Aでも彼のショートについて語ってもらった。
自分と父親の関係を元に脚本がかかれ、父に捧げる映画だという。この作品はシンガポールで数々の賞をさらったが、彼にとって一番うれしかったことは、この映画のおかげで父との距離が近くなった事。これ以上言うと映画の内容がわかってしまうので遠慮させて頂こう。

今、この独り言を会場の仮設事務局で「しゃべっている」がどよめきが起こる。先日、カンヌ国際映画祭の短編部門でグランプリを受賞した話題作、「おはぎ」のデビッド・グリーンスパン監督が緊急来日。今、事務所にこられた。日本語もしゃべっている。なんでも日本の企業に働いていたとか。
彼についてまた、このホームページ上でも紹介されるであろう。また、同じ事を繰り返すかも知れないが、4日(月)の午前11時半からのトークイベントでグリーンスパン監督が出演して「おはぎ」の日本初公開となる。
そろそろ弁当を食べるとしよう。昨夜は忙しくて食べれなかったからね。では、また明日。


2001.06.01事務局長の独り言

昨夜のパーティーの後、ボランティアのヨウヘイとフィルメイカーが滞在している全日空ホテルに泊まった。と、いうのも今朝4時に起きて、フィルムメイカーの皆さんを築地の魚市場にお連れするためだ。(映画祭のスタッフも時には観光ガイドをしなければならない!)
起してもボケているヨウヘイをつまんでロビーに。一昨日の夜についたばかりのフィルムメイカー、昨日の夜遅くまで続いたパーティーで殆ど来る人はいないだろう、と思ったていたが、14名ほどがロビーで待っていた!凄い!(きっと寝ていないんだ!)朝4時で地下鉄がまだ走っていないので4台のタクシーに分かれて乗る。僕も去年の9月に関西から上京してきたばかりだったので、築地は初めてだ。
魚場市場のセリをみていると、自分が観光客みたいになった気分だ。何百匹と横たわるマグロの光景は圧巻。フィルムメイカーの皆さんはさすが、カメラ・アングルを丹念にチェックしながら自分のお気に入りの「構図」をフィルムに収めていた。その後、市場の横にある食堂に入って新鮮なネタがたっぷり入った海鮮丼(1,000円)をフィルムメイカーに食べてもらった。殆どのフィルムメイカーが現在、ロサンゼルスに住んでいるので、日本食には慣れたもの。ただ「朝6時に生魚を食うのは初めてだ!」と口を揃えて言っておりました。

さて、今日は映画祭の当日で最初の上映が「トークイベント」。来日フィルムメイカーとのディスカッションが組まれたり「らせん」「アナザヘブン」で御馴染みの飯田譲治監督に出演してもらった!(監督、お疲れ様でした!)。
その中で、今年のアカデミー賞短編部門でノミネートされていた「SERAGLIO」の監督チーム、夫婦でもあるゲイルとコリンが、受賞は逃したものの、アカデミー賞でノミネートされた事で、「目の前にあった映画界の壁が開くドアになった」と語っていたのが印象的だった。
また、飯田監督作品のショートフィルムには英語字幕は無かったが、来日フィルムメイカーの皆さんがスクリーンに釘付けになっていたのが印象的だった。飯田監督のショートが終わった後に、「なるほど」とばかり拍手を送っていたフィルムメイカー達をみていると、やっぱり「良いストーリーテリングというのは、映像だけ見せても納得するものなんだ」という事を実感した。

このトークイベントの後、本日は本編のプログラムAからCまで上映された。お客さんの入りは初日としては良かったと思う。朝から一日券で全部のプログラムを見て頂いた熱心な方もいらしたし、僕も一部担当したフィルムメイカーと観客との質問コーナーでも面白い質問が飛びあった。
観客からフィルムメイカーに「もし、あなたの作った短編の10倍の予算をもらったとしたら、あなたは長編映画を一本使いますか、それとも10本、短編を作りますか?」という質問でマーク(CプログラムのThe Ballad of Little Roger Meadの監督)は「僕は、もう短編を数本作っているので、そろそろ次のステップにいきたい。だから長編を撮るだろう」と返答したのに対しジョン(CプログラムのOREGONのプロデューサー)は「僕は10本とはいかないけど、ショートを作りたい。なぜなら、ショートフィルムを作る過程において、映画製作そのものをより理解できるから」との答え。
また、観客から「映画館で上映する長編映画と違って、あなたが作ったショートフィルムは何処で上映されるのを想定しているのですか?」というのがあった。マーク曰く「もちろん、こういったフィルムフェスティバルやテレビだよ。アメリカでは一般のTVでもショートフィルムが放映されている。僕の作品も海外のTVで紹介されたよ」。ジョンは「僕はネット上のストリーミングでアクセスが7万5千件あった。」と満足気に話していた。

と、まあこんな風に映画祭はこれからあと4日間続く。明日から週末に入るので皆さん、是非来てちょうだい!

一本の映画を見る料金で「笑えて、ドキドキして、泣いて、スカッ」とする映画祭は他にはないよ。関西人の僕でさえ、十分、元を取って頂けると信じております。「There's no business like show business!」 ショービジネスほど素敵な商売はありまへんで〜。


2001.05.31事務局長の独り言

事務局長のSEIGOです。昨夜は広尾にある「羽澤ガーデン」でASS実行委員会メンバーとボランティアが対面した。フィルムメイカーの友人、パートナーなどを含むと20名ほどの来日になる。ASSアメリカ代表のウィリアムズが簡単なMC役をして、ウェルカムディナーを無事終えた。ボランティアの女子大生に囲まれていたフィルムメイカー達が、旅の疲れを忘れて始終ご機嫌だったのは言うまでも無い。

さて、今日、31日は関係者を集めたレセプション・パーティがある日。朝から準備に追われていた。今年のカンヌ国際映画祭の短編部門でグランプリをとった「BEAK CAKE・おはぎ」の上映が昨夜、急きょ決まった為に、メディア、一般からの電話の対応にも追われた。かなり間違った情報がネット上やスポーツ新聞に報道されたのでこちらも困惑した。
午後、映画祭が開催されるラフォーレミュージアム原宿ではイベントスタッフが数多く、パーティー、そして開催に向ける「箱作り」の準備でバタバタしていた。びっくりしたのは頂いたお祝いのお花の数々・・・本日、コンフェデレーションズ・カップでカナダと対戦している中田英寿さん、貴ノ花関、神田うのさんをはじめ、芸能界、映画界を中心とした関係者から映画祭のオープニングを祝福して頂きました。皆様、本当にありがとう!

6時半ごろ、ボランティア学生達が、フィルムメイカーを会場に連れてくる。来日して初めての日を迎えたフィルムメイカー達、昼間はボランティア学生に連れられて浅草や秋葉原にいっていたそうだ。
そしてパーティは7時過ぎから始まった。アっという間にラフォーレ・ミュージアムの会場は関係者で埋め尽くせられ、関西からこの日の為にきてくれた祖母や母親も何処に消えてしまった!この半年の間、映画祭の準備で会えなかった友達もかけつけてくれて、嬉しかったな。(でもこの映画祭を続けていると、友達を無くすのは間違い無し)
実際、実行委員メンバーはアシスタントの西田以外、「一応」シングルだからね。僕もプライベートでは人と会う時間がないので淋しい。イカン、イカン「事務局長の独り言」が「事務局長のボヤキ」になるのでこの辺で失礼するとしよう。

明日は映画祭の初日。みなさんのご来場をお待ちしております。(礼)


2001.05.30事務局長の独り言

事務局長のSEIGOです。今日も独り言を喋らせて頂くとしよう。今日はアメリカから15名ほどのフィルムメイカーが来日する。既にプログラム・ディレクターのマリーザー・シュナイダー、第1回目の映画祭からボランティアをしてくれているヨウヘイ(鈴木陽平)、そして映画祭の記録映像を撮影するオフィシャル・ビデオカメラマン、中島さや香が成田に向かっている。日本に来るのが初めてのフィルムメイカーが多いので、どんな印象を持ってくれるのだろうか?

今回、15名のフィルムメイカーにつきっきりでアテンドして通訳をしてくれるのが、学生ボランティア。今年は聖心女子大の奥山エミーがリーダーとして、12名のボランティア・メンバーを仕切ってくれる。12名のうち、ヨウヘイと服部君を除いて他は全て花の(死語?)女子大生。そして今回、15人のフィルムメイカーの大半が男性という事もあって、女性ボランティア・メンバーもわくわくしているらしい。(ヨウヘイも何故か期待しているらしい。)
フィルムメイカーには彼女達の写真とプロフィールがのった資料やフィルムメイカーズ・キット(ウェルカムの案内や、都内地図、メトロカード、重要資料などがはいっている)をホテルの部屋に用意をしている。今夜行われる、実行委員会メンバー、ボランティア・メンバーそしてフィルムメイカーとのご対面食事会が行われるのだが、多分、実行委員メンバーは無視されて、合コンみたいになるのでは?こちらの報告も明日にしよう。

昨夜から映画祭が開催される「ラフォーレミュージアム原宿」のビルに映画祭の大懸垂幕がお披露目した。僕はまだ見に行っていないが、実行委員長の別所、プロデューサーの高橋と夕方にでも見に行くとしよう。表参道の車道には既に今年のメインビジュアルが印刷されたフラッグがずらっと掲げられている。このフラッグと大懸垂幕の登場で原宿近辺は映画祭のムードで盛り上がっているだろう。

今、事務局でこの独り言を「喋って」いるが、まわりがバタバタし始めた。明日のレセプション・パーティーや1日からの運営の準備で、現場のオペレーションを統括している菅原率いるチームがパンフレット、物販物、そして事務局の備品などをラフォーレに運びはじめた。実行委員長の別所は横でメールを打ちまくっている。彼のメール打ちはマシンガンのように早く、キーボードを叩く音が「パチパチ」というよりは「バチバチ」という感じだ。事務局にガンガンかかっている映画祭のチケットに関する一般の問い合わせにも積極的に応対している。「いや〜、一日券の前売りはもう完売しておりまして・・・申しわけございません・・・」と丁寧に答える別所をみて「実行委員長は改めて凄い」と思った。(高橋は横で爆笑していた。)


2001.05.29事務局長の独り言

Photo事務局長のSEIGOです。今日から「アメリカン・ショート・ショート・フィルムフェスティバル2001」のビハインド・ザ・シーンを生々しく「独り言」としてレポートしていくつもりだ。

50本以上のショートフィルムが集まったこの映画祭。それぞれのショートフィルムにドラマがあるように、映画祭を運営する「裏方」の我々にもドラマがある。主な登場人物の紹介。鼻血と汗を垂らしながら運営を総指揮する実行委員長(別所哲也)、ニューヨークでの映画製作がクランクアップ間近で、非常にハイパーな(というかナチュラル?)プロデューサー(高橋敬子)、日本語がデーブ・スペクターに負けないくらいうまい映画祭の米国代表(ダグラス・ウィリアムス)、そのダグラスを「TALL MAN」と呼び捨てするプログラム・ディレクター(マリーザ・シュナイダー)、英国アクセントを操り、物事を冷静に見つめる事務局長アシスタント(西田香織)などなど・・・随時、メンバーを紹介しながら、「独り言」をしゃべり続けたいと思っている。

今日は29日。映画祭まであと3日になった。去年の9月1日からこの事務局で仕事をしているが、本当にアッという間にこの9月間が過ぎた。この間の作業をざっと挙げるとアメリカ事務局との連携でプログラムの構成、映画祭運営資金調達、メインビジュアルのデザイン、モデル撮影、他の短編映画祭の視察、行政への申請、試写会の準備、チラシ/パンフの制作、PR部やボランティア・チームとのミーティングなど、ノンストップで走り抜けたという感じだ。これらの中でそれぞれ違ったタイプの人間と会うので、たくさんの人生に触れることも出来る。この仕事の大きなメリットであるとも感じている。

そんなことを振り返りながら、目前に迫った「ASS(アメリカン・ショート・ショートのイニシャル)」の開催にワクワクする期待感と、何が起きるか判らない不安な気持ちが混ざって複雑な思いだ。(ま、映画祭が赤字になったら実行委員長が責任もって弁償してくれるそうなので気楽にいこう)

続きは明日。


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