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American Short Shorts Film Festival 2001
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フィルムメーカースペシャルロングインタビュー
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映画学校での卒業制作で、1930年代の日本という時代設定に果敢に挑戦し、今年のカンヌ映画祭の短編映画部門でみごとパルムドールに輝いたデイヴィッド・グリーンスパン監督。彼は大学時代に京都に留学した経験を持ち、大の日本通でもある。
今年のASSのために急きょ来日してくれた監督と、今は日本で暮らしている主演の宮川竜一くんに、受賞の感想や撮影時のこぼれ話などについて伺った。

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【デイヴィッド・グリーンスパン監督】

― そもそも日本に興味をもったきっかけは?

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Photo Space 小さい頃、コミックが大好きだったんですが、アメリカのコミックの中に、よく忍者が出てきていたんです。小学6年のときには忍者についてのレポートも書いたぐらいでした。
ハーバード大学では、専門は経済学だったんですが、同時に東洋学部にも入っていて、日本の歴史や文学、言語を勉強していました。京都に留学生を受け入れているセンターがあるんですが、僕が通っていた大学も提携校だったんです。それで京都に留学しました。京都では日本の歴史を勉強していました。



― いつごろから映画を作りたいと思っていたんですか?
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映画を撮ろうと思ったのは、大学に入ってすぐ。経済学の勉強はつまらないから、映画を撮りたいな、って(笑)。'91年ごろですね。で、卒業後にちょっと働いて、それから映画学校に入りました。仕事はビデオ編集などをしていました。
京都に留学していたときに、京都大学の映画研究会の方々と知り合って、「おはぎ」のプロデューサーのアツシ(さかはらあつしさん)とも出逢いました。実は、この「おはぎ」の前に、京都大学映画研究会の仲間たちと「ブラック」という作品を撮ったんです。僕はその作品の監督を務め、アツシは脚本を翻訳してくれました。アツシとはそのときお互いに、「将来映画業界に入ろう」と約束したんです。
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左がプロデューサーで
さかはらあつし氏
「ブラック」のストーリーは、金髪で背の高いアメリカ人が、日本人みたいな姿をしたいと、学生服を探す、というもので、僕の経験や気持ちが重なっています。僕自身、日本に生活しているときはなんとか日本に適応しよう、日本人のようにしよう、というプレッシャーがあったし。

(さかはらさん)
デイヴィッドはアメリカに帰ったあと、'96年に仕事で日本に3ヶ月だけ来たんですね。ちょうど僕は広告代理店を辞めて、悩んでいたときだったので、デイヴィッドと会って、一緒に映画を作ろうという話になりました。僕もその後、アメリカに渡ったんですが、彼は、僕が東京の部屋を引き払うときに手伝ってくれたりもしましたよ(笑)。



― 「おはぎ」の撮影で苦労した点は?
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いちばん苦労したのはロケーションですね。舞台となる学校を探すのに、2ヶ月ぐらいかかりました。最終的に決めた学校は、ロスアンジェルスの郊外のパサディナというところにあるんですが、建物自体がとても古くて素敵だったのです。そして、教室の札や習字を貼ったら、それだけで日本らしくなりました。
プロダクション・マネージャーには、「もっと天井が低くないと」などと言われましたが、限られた予算と時間では、忠実にその時代を再現することは難しかったのです。ストーリーの根本が変わっていなければ、こまかいところはしょうがないかな、と妥協しなければならない部分もありました。僕は限られた条件の中で精いっぱいのものを作れたと思っています。
でも、いざ撮影開始というときになって、音声さんに「ここの教室は外の車の音が入ってしまう」と指摘されました。そこで、撮影のセッティングが全て終了していたのにもかかわらず、他の教室に移動して一からセッティングしなおしました。まあ、移動したおかげで、あとから音を修正するのに膨大な時間を費やす、ということは避けられましたが。



― カンヌで受賞して、何か変わりましたか?
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Photo 観客にサインを求められる
デイヴィット
Space みんな、僕がカンヌで受賞したことで精神的に変わるんじゃないかと思っていたみたいだけれど、僕自身はかわっていないですね。でも、長い間連絡をとっていなかった昔の友だちから、たくさん「おめでとう」の電話がありました。
受賞して、忙しくはなりましたが、今もまだ会社員としての仕事を続けています。「おはぎ」を撮ったあと、僕は仕事が見つけられなかったので、コンピュータ会社に務めている友人が今の職場を紹介してくれたんです。そこでは僕は、家庭用のゲームソフトのオープニングに入っている“イントロムービー”を作る監督をしているんです。
受賞後、アメリカの有名な映画会社から、「作品を見たいのでテープを貸してほしい」という連絡はありましたが、まだ具体的な次のオファーはありません。
でも、今回日本に来て、前とは全然変わりました。だってこんなに注目されているじゃないですか!
 '96年に来日して、アツシと会ったときは、ふたりともとてもミゼラブル(みじめ)な境遇だったのに(笑)。日本自体は、前来たときとそれほど変わってはいないと思いますね。変わったことといったら、携帯電話をみんな持つようになったことぐらいかな。



― 今後の作品にも日本の文化を取り入れていきたいと思いますか?
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このストーリーは日本の友人に勧められて撮ったのですが、日本に来ていなくても、同じようなものを描いたかもしれません。次回は日本の昔話というか、神話のようなちょっとファンタジータッチのものを、現代の日本を舞台にして作りたいと思っています。今後は今の時代の日本を描いていきたいですね。アイディアはたくさんあるけれども、まだ話はまとまっていません。今、初めてのオリジナル脚本を書いています。


今回は16ミリフィルムを使われたそうですが、これからデジタルを使いたいと思いますか?
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ストーリーがもっとも大切だから、デジタルでもフィルムでも関係ないと思いますね。予算が限られていて、デジタルを使わなければならなくても、それはそれでいい。でも、この作品はフィルムで撮りたいと思いました。編集はノンリニア編集でおこないましたが。


ショートフィルムはこれからエンターテインメントのひとつのジャンルとして確立すると思いますか?
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今回、来日するときに、全日空の機内でこのアメリカン・ショート・ショートが上映されていました。そんなふうに、機内で上映されたりする機会は増えていくと思いますね。それに、インターネットでショートフィルムがもっと見られるようになると思います、ネットで長編を見るのは難しいから。


― 日本の映画監督で影響をうけた方はいますか?
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黒澤はもちろんだけれど、小津安次郎とか、市川崑監督の「ビルマの竪琴」の古いほう。僕はコメディが好きだから、伊丹十三の「タンポポ」も好きですね。あと、是枝裕和監督も大好きです。ロスに、日本映画がよく上映されるアートハウスというのがあって、是枝さんの「ワンダフル・ライフ」はそこで見ました。
宮崎駿監督も好きです。「となりのトトロ」が大好きで、こんな懐かしさがある映画を作りたいと思いました。「耳をすませば」も大好き。
ロスに住んでいるとけっこういろいろな外国映画が見られると思います。日本に興味を持っているから、日本の映画がどこで見られる、という情報は熱心に探します。高校生のとき、「家族ゲーム」を近くの図書館で上映したんですけど、その情報も自分で探しました。あの作品には伊丹さんも出てましたよね。



― 最後に、日本のフィルムメーカーの卵たちにひとこと
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僕が映画学校でいちばん勉強になったことは「自分が好きなもの、楽しいと思ったものを作れ」ということ。みなさんも、売れるかどうかではなく、好きなもの、楽しいと思ったものを作ってください。


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